かながわ資料室ニュースレター第24号(2011年6月発行)

新着資料から

◆『一遍』遊行に生きた漂泊の僧 -熊野・鎌倉・京都-
井上宏生著 新人物往来社発行 2010年 [K18.52/107]

 神奈川県藤沢市にある時宗総本山清浄光寺。遊行上人の寺ということで「遊行寺」の通称で知られています。時宗の開祖である一遍は、一人でも多くの人々に踊念仏を広めるため全国を歩いた僧侶です。鎌倉に向かう際、時の執権北条時宗の武士たちに鎌倉入りを禁止されますが、片瀬の地蔵堂にとどまり、鎌倉の人々に仏の教えを説き信心を勧めました。このことが後に、遊行寺が創建される所以となりました。
 一遍が生きた鎌倉時代は仏教の新時代です。開祖たちは、日蓮宗の日蓮、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、浄土宗の法然、法然の弟子で浄土真宗の親鸞、そして法然と親鸞の流れを汲む時宗の一遍といった、錚々たる顔ぶれでした。
 本書は、一遍の生涯と布教の足跡を描いた『一遍聖絵』や『一遍上人語録』から多くのエピソードを紹介しています。『一遍聖絵』の絵巻には一遍の姿と各地の風景や社寺の様子、庶民の生活などが織り込まれており、一遍の生い立ちから修行と伝道の旅に明け暮れた生涯を垣間見ることができる一冊となっています。
 ※遊行寺には宝物館があり、多くの関係資料が所蔵され、企画展も行われています。

◆『日本近代医学の黎明(あけぼの)』-横浜医療事始め-
荒井保男著 中央公論新社発行 2011年 [K49.1/150]

 日本における近代西洋医学は横浜から始まりました。開港後の安政6年(1859)に来日し、近代西洋医学を日本人に施術したのはヘボン博士です。その後シモンズが来日、海港検疫や薬用石鹸をつくるなど横浜の近代衛生都市化を目指しました。
 日本は幕末までは英米医学が中心でしたが、明治維新に入ると新政府はドイツ医学を採用します。そのため一般的に、日本の近代医学はドイツ医学の採用が始めであると考えられがちですが、それ以前は英米医学による横浜医療の歴史がありました。
 ドイツ医学のみではなく、英米医学が軽視されないよう福沢諭吉は慶応義塾構内に医学所を設立。また高木兼寛は民間医学団体「成医会」(現:東京慈恵会医科大学)を設立し、それぞれ英米医学の必要性を英米書をもって教育しました。
 本書は、ヘボン、シモンズから福沢諭吉、高木兼寛らの試行錯誤を綴り、横浜医療が日本近代医学史上に果たした役割とその功績を紹介しています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
一遍井上宏生新人物往来社2010K18.52/107
最明寺本往生要集 索引篇源信汲古書院2003K18.81/25/3
新約全書ネイサン・ブラウン新教出版社2011K19.1/195
雪ノ下カテキズム加藤常昭教文館2010K19.4/11A
相模武士 第2巻湯山学戎光祥出版2011K21.5/14/2
関東戦国史と御館の乱伊東潤洋泉社2011K24/466
天正壬午の乱平山優学研パブリッシング2011K24/467
鎌倉幕府の滅亡細川重男吉川弘文館2011K24/468
北条氏と鎌倉幕府細川重男講談社2011K24.4/267
海港都市・横浜和田博文ゆまに書房2010K26.1/177
明治維新と横浜居留地石塚裕道吉川弘文館2011K26.1/178
横浜港ドイツ軍艦燃ゆ石川美邦光人社2011K26.1/179
論集戦国大名と国衆 4岩田書院2010K28/392/4
源頼朝西本鶏介ミネルヴァ書房2011K28.4/123
これでいいのか神奈川県横浜市 2小森雅人マイクロマガジン社2011K291.1/253/2
るるぶ川崎市JTBパブリッシング2011K291.21/138/2011
とっておきの鎌倉100鎌倉地元民の会毎日新聞社2011K291.4/407
神奈川の創業経営者熱い思いを語る起業家支援財団神奈川新聞社2011K33/176
人生を逆転する学校宮澤保夫角川書店2011K37/929
横浜版学習指導要領評価の手引横浜市教育委員会事務局ぎょうせい2011K37.1/320
米軍基地の現場から沖縄タイムス社・神奈川新聞社・長崎新聞社=合同企画高文研2011K39/102
知られざる軍都多摩・武蔵野を歩く洋泉社編集部洋泉社2010K39.98/11
日本近代医学の黎明(あけぼの)荒井保男中央公論新社2011K49.1/150
公共工事発注情報 2011日本工業経済新聞社日本工業経済新聞社2011K51/256/2011
神奈川の建築家とつくる家小田保彦建築ジャーナル2011K52/135
三菱ふそうのすべて芸文社2011K53/30
日本お菓子ばなし 川崎の巻吉田菊次郎時事通信出版局2011K59.21/2
ミシュランガイド東京・横浜・鎌倉 2011日本ミシュランタイヤ2010K67/243/2011
日本の私鉄東京急行電鉄広岡友紀毎日新聞社2011K68/492
昭和の路面電車生方良雄講談社2011K68/493
富士屋ホテル結婚伝説(ブライダルストーリー)ホテレスウエディング編集室オータパブリケイションズ2011K68.85/152
鎌倉日本放送協会日本放送出版協会2010K70.4/57
東国の鎌倉時代彫刻国立文化財機構東京国立博物館/京都国立博物館/奈良ぎょうせい2011K71.4/77
独り行く道中川一政求竜堂2011K72.85/39
Yokohama F・Marinos OFFICIAL HANDBOOK 2011横浜マリノス株式会社横浜マリノス2011K78.1/140/2011
怒りの時代丸山泰彦近代文芸社2010K97/163

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

 神奈川県には平成21年9月に、ユネスコ無形文化遺産に登録された三浦市三崎の伝統行事「チャッキラコ」をはじめ、国の重要無形民俗文化財、神奈川県指定無形民俗文化財など、地域の伝統芸能が数多くあります。また、この他にも一年を通して県内各地で古い歴史や伝統と文化に育まれてきた民俗芸能を見ることができます。
 今回より、当館に所蔵されている昭和30年代~40年代に撮影・記録された県内各地の「祭り」を解説を添えて紹介します。レンズが捉えた神奈川の祭りの一コマをご覧下さい。

≪鳥屋(とや)の獅子舞≫…相模原市津久井町(鳥屋諏訪神社)

 神奈川県指定無形文化財/県指定無形民俗文化財/かながわの民俗芸能50選/相模原市登録無形民俗文化財
 写真撮影日:昭和36年8月22日[請求記号:K11/1] ※昭和初期から56年までは8月22日に行われていた。

【解説】
 毎年8月の第2土曜日に諏訪神社に奉納される「一人立ち三頭獅子舞」は、300年以上前から伝わる獅子舞です。清真寺の10世住職である円海法師が八王子市高月から移入したと伝えられています。
 中開戸の鈴木家に集まり、支度を整え神事の後、行列して諏訪神社まで練り歩き、境内で舞います。
 頭は角張っていることから重箱獅子の愛称があります。三頭は父・母・子と区別され、獅子舞は現地の呼称で「道行き」「狂い込み」「コウノ」「ヤマガラ」「ホゴレ」という獅子舞の型が順に演じられます。

ブッソロイ写真
鈴木家の庭で「ブッソロイ」
が行われる
道行写真
一行は「道行き」を演奏しながら
諏訪神社へ
コウノという舞の写真
神社へ到着。獅子舞は「コウノ」
という舞い

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【参考文献】
『神奈川県史』各論編5 民俗 神奈川県企画調査部県史編集室編 1977年 [請求記号:K21/16-2/5]
『かながわの祭と芸能』永田衡吉著 1977年 [請求記号:K38/52]
『獅子舞調査報告書』相模原市教育委員会社会教育部社会教育課編 1991年 [請求記号:K38.54/38/1]


コラム・かながわ あの人・この人

宝水【ほうすい】 生誕年不詳~天保8年(1837)

 江戸時代中期~後期の俳人。
 宝水は名を鈴木仁兵衛といい、溝口村で農業と実薬商を兼業していました。
 宝水の俳人交友関係は広く、伊豆の一瓢、下総の白老、仙台の日人等とは特に親しくその他に多くの俳人達と交わり、玉川の滴堂田村雨籟や天由、子母口の素月亭枳城たちと俳諧の興行を催し、神奈川の鳳朗一派を広めました。そして、その俳派は大山街道へと発展し、終に鳳朗門として厚木の薫[タイ](代+巾)、春翠、梧井、萩野の洞々、川入の槐堂、大山の阿徳、秦野の府尺、簔毛の洗竹、白岑、飯山のつぶね法師など、多くの俳人を輩出しました。宝水は文政3年に松尾芭蕉の「世を旅に代かく小田のいきどまり」という句碑を宗隆寺に建立しています。
 天保8年1月28日歿。享年81歳。墓所は、川崎市高津区溝口の宗隆寺。戒名は「性信院覺道日善信士」。  

【参考文献】
『神奈川県古俳人展望』金沢文庫編 1953年 [請求記号:K93/94]
『川崎市史』通史編2 近世 川崎市編 1994年 [請求記号:K21.21/ 5/ 1-2]
『神奈川県下 芭蕉句碑』飯田九一編 1952年[請求記号:K93/2]