かながわ資料室ニュースレター第20号(2010年10月発行)

新着資料から

◆『戦国時代年表』 -後北条氏編-
下山治久編 東京堂出版発行 2010年 [K24.7/146]

 本書は、関東に約100年間、五代にわたって君臨した戦国大名、後北条氏の年表です。
 著者の下山治久氏は後北条氏を長きに渡り研究し、多くの関係文書を採集し続けています。これまでに『戦国遺文・後北条氏編』1巻から6巻と補遺編(1989年~2000年刊行)、『後北条氏家臣団人名辞典』(2006年刊行)などを出版し、研究資料としても活用されています。近年、周辺地域の諸大名や国衆の研究が進んだこともあって、後北条氏の研究の進捗状況はめざましく、本書にはその成果がもりこまれています。合戦・軍装・城の普請・知行・自然災害など、多岐にわたる事象が確実な資料に基づいて書かれています。巻末には人名索引があり、本年表に登場する人名を収録しています。また既刊の『後北条氏家臣団人名辞典』を補完する役割も果たしています。

◆『横須賀線を訪ねる』 -120年歴史の旅-
蟹江康光編 交通新聞社発行 2010年 [K68/482]

 横須賀線の大船~横須賀間は、明治22年(1889)に東海道線とともに開業し、120年の歴史をもつ路線です。横須賀線が誕生したきっかけは慶応元年(1865)の横須賀製鉄所の開設にはじまります。幕府が開国に踏み切ると、国防上艦船の保有を必要とし、日本独自の造船所を設立することになり横須賀村が選ばれます。海軍と陸軍の熱望により鉄道が敷かれると大量の軍事物資の輸送が始まり、横須賀は軍港の街へと発展していきました。
 現在、横須賀線は総武快速線の直通や湘南新宿ラインの運行で通勤・通学の交通手段として多くの人々に利用されています。
 本書は、大船~久里浜間の懐かしい風景や歴代車両、各駅の歴史などの写真を中心にわかりやすく伝えています。また、地形図を用いた説明や関東大震災による横須賀線の被害にも触れており、これまでにない特色のある鉄道写真集となっています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
神社とお寺はたのしい中尾京子アノニマ・スタジオ2010K17.4/65
都市鎌倉の中世史秋山哲雄吉川弘文館2010K24/465
中世都市・鎌倉日本放送協会日本放送出版協会1985K24.4/266
戦国時代年表 後北条氏編下山治久東京堂出版2010K24.7/146
鎌倉幕府草創の地 伊豆韮山の中世遺跡群池谷初恵新泉社2010K24.89/24
徳川家康のスペイン外交鈴木かほる新人物往社2010K25/218
鎌倉遺文研究 第25号鎌倉遺文研究会吉川弘文館2010K27/75/25
陰徳を積む北康利新潮社2010K28/393
神奈川県の山原田征史山と渓谷社2010K291/436
政権交代の夏神奈川新聞報道部神奈川新聞社2010K31/694
神奈川県高校受験案内 平成23年度入試用声の教育社編集部声の教育社2010K 37/627/2011
学徒勤労動員の日々鈴木光男近代文芸社2010K39.5/3
動物園水族館ガイド関東周辺東京地図出版2010K48/99
みずのないみなと小林勇審美社2010K51.1/221
The Whisky World vol.29プラネットジアース2010K58.1/62
神奈川庶民食堂湘南海童社2010K67/240
創立三十周年記念誌神奈川県鮨商環境衛生同業組合神奈川県鮨商環境衛生同業組合1989K67/241/30
横須賀線を訪ねる蟹江康光交通新聞社2010K68/482
小田急線オール沿線風景ベストカー講談社2010K68/483
横浜市電が走った街今昔長谷川弘和JTB2001K68.1/249
江ノ電模「景」ネコ・パブリッシング2010K68.4/48
Dizzy noon新倉孝雄蒼穹舎2010K74.5/3
TRICOLORE 2010 Summer朝日新聞出版2010K78/241/2010-1
高校野球神奈川グラフ 2010神奈川新聞社神奈川新聞社2010K78/38/2010
南国忌の会のあゆみ230クラブ2002K91/100
間門園日記齋藤博子深夜叢書社2010K91.1/96
伏龍阿井文瓶河出書房新社2010K97.31/39
歳月(としつき)の彩り田山凖一アーツ・アンド・クラフツ2010K98.3/2

コラム・かながわ・フォーカス

大山の歴史(3) 江戸時代 ~描かれた大山2~

 江戸時代になり大山信仰が庶民の間に浸透していくにつれ、信仰の内容も現世利益を求める、病気治療、家業繁栄、商売繁盛、火伏せ、雨乞い、豊作祈願、開運、諸願成就などが中心になっていきます。
 当時、信仰を目的とした社寺参詣や、病気治療のための湯治などは、庶民にとって旅に出ることのできるわずかな機会でした。社寺参詣を名目に旅立ち、実際は参詣地以外の観光も兼ねる物見遊山の旅も多くみられました。
 『東都歳事記』6月26日の項には、大山参りに出発する前に大川(隅田川)で水垢離をとり、その際携行した木太刀(小さくて七・八寸、大きくなると一丈余り)を大山で奉納し、代わりに神前に奉納してある他人の木太刀を持って帰って守護としたことが記されています。大山参りはしばしば錦絵・滑稽本・芝居などの題材として取り上げられ、木太刀を持つ大山参詣の人々の姿も、多くの錦絵で見ることができます。
 

【参考文献】

『東都歳事記2』 1970年 [請求記号:K38.29/2/2]
『伊勢原市史 通史編 近世』 2010年 [請求記号:K21.64/7/1-2]
『近世寺社参詣の研究』 2007年 [請求記号:K18/172]


コラム・かながわ あの人・この人

川上 豊女【かわかみ とよめ/とよじょ】 寛延5年(1748)~文政8年(1825)※異説あり

 江戸時代中期~後期の俳人。
 川上家は織田信長の三男信孝を先祖にもつ家柄であり、豊女は父九左衛門の長女として生まれました。豊女は品川宿で二軒の旅籠を経営し、安房出身の俳諧師・宇右衛門と結婚した後は、品川の旅籠を弟に任せ、夫と共に故郷の藤沢に戻ると、藤沢宿で二軒の旅籠「豊元屋」を経営するなど家業の拡大にも成功しました。『東海道藤沢宿惣家別書上帳』によれば、「豊元屋」は大久保町字堂坂町にあり、反対側の並びには『東海道中膝栗毛』で知られる孫七郎の「平野屋」もあったと記されています。
 豊女と俳諧の出会いは定かではありませんが、江戸中期の品川宿などの旅籠では文化的な活動が盛んであったので、このような場所で夫となる宇右衛門と出会い、俳諧に接する機会を得たとのではないかという説もあります。
 豊女は雪中庵蓼太の門下でしたが、倉田葛三(鴫立庵八世庵主)にも俳諧を学びました。また『雉啄日々稿』にも多くの句が寄せられているところから、夫と同郷の遠藤雉啄(鴫立庵九世庵主)にも指導をうけたのではないかとも考えられています。
 近世から明治末までに活躍した女流文学者の著作を紹介した『女流著作解題』には、「相州(砥上原)の人。其の句が文化時代の諸俳書に次の如く出ている」と書かれています。『はたけせり』『頓写のあと』『くさかね集』『何袋』『的申集』『豆から日記』など、数多くの俳書に句を寄せており、藤沢を代表する女流俳人でした。
 文政8年5月10日に77歳で歿し、藤沢の常光寺に葬られています。

【参考文献】

『神奈川県史 各論編3 文化』 神奈川県県民部県史編集室編 1980年 [請求記号:K21/16-2/3]
『藤沢市史 第5巻』 藤沢市史編さん委員会編 1974年 [請求記号:K21.52/6/5]
『わが住む里 58号』 藤沢市総合市民図書館編 2009年[請求記号:K05.52/1/58]
『女流著作解題』 女子学習院編 1978年 [請求記号:県立910.31/42]