かながわ資料室ニュースレター第19号(2010年8月発行)

新着資料から

◆『掘り進められた神奈川の遺跡』-旧石器から近代まで-
財団法人かながわ考古学財団編 有隣堂発行 2010年 [K21/99]

 遺跡からは当時の人々の文化や生活の営み、その社会的な特徴を知ることができ貴重な手掛かりがあります。約3万年にもわたる各時代の遺跡が神奈川県下には7500カ所以上も確認されています。
 かながわ考古学財団は、これまでに200カ所以上の遺跡を発掘調査して報告書を刊行し、県民に埋蔵文化財の保護の重要性を伝えてきました。
 本書は、『神奈川の遺跡』(1990年刊行)以降に新しく発掘調査した遺跡を中心に紹介しています。報告書を図鑑の様に取りまとめ、時代ごとの解説とその時代を知るうえで重要な遺跡地や出土品等、写真を多く使用し見やすい構成になっており、考古学を身近に感じられる本です。  

◆『小さくして強くなった』-こうしてハングリータイガーは生まれ変わった-
中田有紀子著 エフビー発行 2009年 [K67/237]

 1969年、日本にはまだ現在のような外食産業時代は訪れておらず、ファミリーレストランという名前さえ知られていませんでした。そんな時代の中、加熱された鉄板状のプレートにハンバーグを押し焼くスタイルが人気を呼び、横浜を中心として神奈川県下に店舗を展開していたのがハンバーグ・ステーキレストランのハングリータイガーです。
 1980年代後半のバブル景気頃から意欲的な出店を開始し、最盛期には30店舗以上にまで拡大。株式公開の準備が具体的に行われるまでに成長していました。  しかし長引く不況と2000年のO-157騒動、BSE問題により、2001年には3店舗を残して他の外食産業会社へ売却することになります。
 本書は、ハングリータイガーに次から次へと襲いかかった苦難に最後まで諦めずに立ち向かった経営者や、3店舗から再起をかけた社員の意気込みを紹介しています。一読後、食べに行ってみたくなるような一冊です。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
村人の城・戦国大名の城中田正光洋泉社2010 K21/100
横浜150年の歴史と現在横浜開港資料館明石書店2010 K21.1/61
まんがで読む八王子歴史物語 第1巻松田純揺籃社2010 K21.98/126/1
鎌倉考古 第1-55号鎌倉考古学研究所鎌倉考古学研究所2010 K22.4/61/55
小弓公方足利義明千野原靖方崙書房出版2010 K24/460
「相模国の中世と鎌倉」中世のはじまりを探る 発表資料集鎌倉考古学研究所鎌倉考古学研究所2009 K24/463
鎌倉源氏三代記永井晋吉川弘文館2010 K24.4/265
戰國遺文 房総編 第1巻黒田基樹東京堂出版2010 K27.39/22/1
里見家分限帳集成川名登岩田書院2010 K27.39/5A
神奈川生まれの名字田中將浩早稲田出版2010 K28/391
アーバンデザイナー北沢猛秋元康幸BankART19292010 K28.1/576
龍馬の夢斉藤秀一湘南海援隊2007 K28.3/20/3
坂本龍馬とおりょう斉藤秀一湘南海援隊2010 K28.3/20/4
源頼朝高橋典幸山川出版社2010 K28.4/121
相模の美酒と福澤諭吉金原左門日本経済評論社2010 K28.54/29
党人河野一郎小枝義人春風社2010 K28.7/125
実伝江川太郎左衛門仲田正之鳥影社2010 K28.89/42
かながわのハイキングコースベスト50ぷらす3山本正基神奈川新聞社2010 K291/672A
ぶらりハマ歩き横浜シティガイド協会神奈川新聞社2010 K291.1/258
ゆる~り自転車さんぽ no.1ネコ・パブリッシング2010 K291.2/17
横須賀Walker 2010年版角川マーケティング2010 K291.31/120/2010
ゆる~り自転車さんぽ no.2ネコ・パブリッシング2010 K291.4/404
るるぶ箱根 ’11JTBパブリッシング2010 K291.85/220/2011
創造性が都市を変える横浜市学芸出版社2010 K31.1/229
年金で安心して最期まで暮らせる住まい栗原道子講談社2010 K36/1065
周辺メトロポリスの位置と変容宇都榮子専修大学出版局2010 K36.21/181
人をつくる神奈川新聞社編集局神奈川新聞社2010 K37.12/99
在村文化と近代学校教育多田仁一文芸社2001 K37.98/24
神奈川いきもの図鑑前田信二メイツ出版2010 K46/41
植物ウォッチング金子昇文芸社2010 K47.3/19
四季折々に楽しむ鎌倉花の散歩道オフィス・クリオメイツ出版2010 K47.4/31
私がしたことは殺人ですか?須田セツ子青志社2010 K49.21/40
オーラル・ヒストリー多摩ニュータウン細野助博中央大学出版部2010 K51.98/31
川の地図辞典 多摩東部編菅原健二之潮2010 K51.98/32
新鉄道廃線跡を歩く 2(南東北・関東編)今尾恵介JTBパブリッシング2010 K68/478
中部ライン 第1巻川島令三講談社2010 K68/480/1
中部ライン 第2巻川島令三講談社2010 K68/480/2
日本の鉄道をつくった人たち小池滋悠書館2010 K68/481
鉄道ひとり旅ふたり旅 1枻(エイ)出版社2010 K68.85/150
箱根温泉旅館・福住樓折橋徹彦創元社2010 K68.85/151
BankART Life 2BankART1929BankART19292009 K70.1/49/2
クリエイティブシティ・ヨコハマのこれまでとこれから横浜市開港150周年・創造都市事業本部創造都市推進BankART19292008 K70.1/55
鎌倉大仏の謎塩澤寛樹吉川弘文館2010 K71.4/74
私は虫である熊田千佳慕求竜堂2010 K72/152
横濱モボ・モガを探せ!BankART19292007 K74.1/88
大野一雄 九十七歳の履歴書BankART19292004 K76.1/118
夢を演じる!村上芳信晩成書房2010 K77.1/110
若大将の履歴書加山雄三日本経済新聞出版社2010 K77.53/15
歌人・咢堂と津久井[尾崎]咢堂津久井樹脂文化部「咢堂と短歌」2007 K92.95/22
ジュール・ヴェルヌが描いた横浜新島進慶應義塾大学教養研究センター2010 K97.1/238

コラム・かながわ・フォーカス

大山の歴史(2) 江戸時代 ~描かれた大山1~

 江戸時代になると幕府の命により、大山は山上と山下に二分され、山上は清僧(妻帯しない僧侶)の結界地とされ、修験者、妻帯僧などは下山させられます。下山した彼らは山麓に居住し「御師(おし)」となっていきます。結界内外の様々な権利は清僧である別当八大坊と供僧十一坊が掌握することになり、御師はそのいずれかの傘下に所属し、寺院と信者の取次という役割をはたしていきます。
 御師は、各地で大山登拝を目的とした大山講を組織し、講員を檀家として、「檀廻(だんまわり)」(一年のうちに定期的に、御札や土産を持って檀家を廻り、初穂料を集めること)や「坊入(ぼういり)」(講中の人々が大山に登拝する時に、御師の家に宿泊し、その案内で参拝すること)といった活動をしながら関東一円とその周辺に教えを広めていきます。大山道と呼ばれる参詣道も次第に整備され、やがて大山信仰は江戸時代中期・後期に最盛期を迎えます。
 

【参考文献】

『大山道と大山信仰』世田谷区立郷土資料館編 1985年 [請求記号:K68.29/4]
『大山信仰』圭室文雄編 1992年 [請求記号:K17.64/33]
『新編相模国風土記稿』蘆田伊人校訂 1998年 [請求記号:K291/1D]


コラム・かながわ あの人・この人

安斎 仙鳥【あんざい せんちょう】 生年不明~享和元年(1802)

 江戸時代中期~後期の俳人。
 安斎家は鎌倉郡坂ノ下村の鎌倉十井の一つ「星ノ井」が近くにある豊かな農家でした。しかし仙鳥が30歳になる前に夫が亡くなり、女手ひとつで育てた子どもが家業を継ぎますが、仙鳥よりも早く亡くなってしまいます。
 俳句は大野村祇園天王社の神主である小坂米舎に手ほどきを受け、その後は西奴(鴫立庵六世庵主)に師事し、西奴が亡くなると河上庵泰里に学び「無事庵」と号します。仙鳥の俳諧への積極的な精進は、地元俳人では群を抜いており、西奴、丹人、米舎、百遊らと並ぶ相模俳壇で名を知られる存在になります。
 享和元年(1802)、「お七風」という風邪が江戸から鎌倉に流行し、仙鳥もこの風邪に罹り重態になります。亡くなる数日前に、親しかった長谷「甘縄神明神社」の別当寺甘縄院の良性尼が卯の花一枝を持って病床を訪れ、その枝を枕元に示したところ「卯の花にききそこなはじほととぎす」と詠み、この句が辞世の句となり享和元年(1802)4月6日にこの世を去りました。
 死後間もない同年5月、弟の雪涛が仙鳥の師であった河上庵泰里の序文や生前親交のあった各地の俳人からの追悼句、そして仙鳥の句から約百句を選んで、『卯の花くもり』と題して刊行しました。因みに、この追悼句集には地元鎌倉から28人が句を寄せています。
 

【参考文献】

『鎌倉の俳人 江戸~明治』木村彦三郎編 1991年 [請求記号:K27.4/17A/6]
『俳諧人名辞典』高木蒼語著 1960年 [請求記号:K93/116]