かながわ資料室ニュースレター第8号(2008年10月発行)

新着資料から

『太白堂孤月と相模国』
飯村寿美子 著 あかざ俳句会 2008年[K93/131]
 俳誌『あかざ』を主宰する著者が、6年あまりにわたって連載した小論をまとめたもの。
 本書執筆の発端は、川崎市細山資料館に所蔵される『桃家春帖』との出会いであったという。この出会いによって、その編者・太白堂孤月への興味をかき立てられた著者が、孤月や、渡辺崋山、あるいは太白堂系の俳人たちを、大山道に沿いながら訊ね歩き記している。本書からは、正岡子規の革新により切り捨てられたかに見えた旧来の俳句が、農民俳句として脈々と詠み継がれ、農村文化の一翼を担っていた事実を知ることができる。
 ※『桃家春帖』:俳句撰集。孤月の春興帖(宗匠が新年にあたり自身や門人・知友の歳旦吟、春興吟などを載せ刊行したもの)。文政4年(1821)太白堂五世の?石が没し、孤月が六世を継承してから刊行した。幕末まで毎年刊行され、渡辺崋山、椿椿山らが挿絵を描いている。

『フランス横浜郵便局』
  松本純一 著 ストーク発行 2008年 [K69.1/46]  
 1858年、日本は列強各国との間に修好通商条約を締結した。これにより開港地に各国公館が置かれ、日本と海外とを結ぶ郵便業務への需要が生じたが、日本にはまだそれを手がけるだけの知識や技術がなかった。そこで、各国の領事館がこれを行うようになったのが領事館郵便と呼ばれるものである。この領事館郵便が成長し、本格的な郵便局となっていく。フランスの場合も同様の経過をたどり、1865年9月にフランス横浜郵便局が開局した。  本書は、このフランス横浜郵便局の歴史を、社会的背景や関連人物などとともに詳細に追ったもの。フランス横浜郵便局について既に4冊の著作のある著者の集大成ともいえるもので、フランス横浜郵便局を知る格好の書となっている。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
武州御嶽山信仰西海賢二岩田書院2008 K17.98/24
古代西相模の社会と暮らし大上周三夢工房2008 K22/61
小田原ライブラリー
吾妻鏡 3
五味文彦吉川弘文館2008 K24/428/3
武士の時代へ NHKシリーズ関幸彦日本放送出版協会2008 K24/435
中世東国の世界 3(戦国大名北条氏)浅野晴樹高志書院2008 K24/436
武士はなぜ歌を詠むか小川剛生角川学芸出版2008 K24/437
北条時宗の時代北条氏研究会八木書店2008 K24.4/257
鎌倉遺文研究 第21号鎌倉遺文研究会吉川弘文館2008 K27/75/21
清末・幕末に於けるS・ウェルズ・ウィリアムズ生涯と書簡フレデリック・ウェルズ・ウィリアムズ高城書房2008 K28/372
東急・五島慶太の生涯北原遼三郎現代書館2008 K28/373
千佳慕の横浜ハイカラ貧乏記熊田千佳慕フレーベル館2008 K28.1/535/3
日本初、新聞が発行された小西聖一理論社2008 K28.1/554
新・ものがたり日本歴史の事件簿
義に死す最後の幕臣
松邨賀太文芸社2008 K28.31/111
水族館へようこそ わが人生堀由紀子神奈川新聞社2008 K28.52/51
ヨコハマ・港物語 2湯村京子丸善プラネット2008 K291.1/200/2
写真が語るふる里 三浦海岸シリーズ長島文夫長島文夫2008 K291.33/33
箱根 JTBパブリッシング2008K291.85/344/2008
We Japanese VOL.Ⅰ・Ⅱ山口正造FUJIYA HOTEL1935・37 K291.85/361
神奈川県都市地図 〔2008〕 昭文社2008 K292/143/2008
かながわ自由民権探索 続大畑哲夢工房2008 K31/638/2
かながわNPO通信 第6号(2007/08)かながわNPO活動研究会「あむ」2008 K33/133/6
エスニック・バウンダリーの「創出」三谷香子日本僑報社2008 K36.1/404
福祉がいまできること前田正子岩波書店2008 K36.1/408
神奈川県高校受験案内
平成21年度入試用
声の教育社編集部声の教育社2008 K37/627/2009
地域で遊んで学ぶ、キャリア教育酒井一郎国土社2008 K37.21/349
新・みぢかなくらしと地方行政
第2期 第2巻
松田博康リブリオ出版2008 K48.1/42
東京・首都圏近未来タウン地図主婦と生活社2008 K51/464
よみがえれ東京湾一柳洋ウェイツ2008 K51/465
マンション建替え物語鈴木啓之鹿島出版会2008 K52.21/51
ふね・フネ・船の力横須賀学の会Koo International2008 K55/59
チョートク海をゆく田中長徳東京キララ社2008 K55.1/45
天才相場師の戦場鍋島高明河出書房新社2008 K67/230
鉄道整備と沿線都市の発展高津俊司成山堂書店2008 K68/450
多摩の鉄道沿線今尾恵介けやき出版2008 K68.98/28
フランス横浜郵便局松本純一ストーク2008 K69.1/46
シリーズにっぽんの高校野球 vo.7 ベースボール・マガジン社2008 K78/240
Tricolore 2008夏号 朝日新聞出版2008 K78/241
高校野球神奈川グラフ 2008 神奈川新聞社2008 K78/38/2008
打てるもんなら打ってみろ三浦大輔ロングセラーズ2008 K78.1/156
太白堂孤月と相模国飯村寿美子あかざ俳句会2008K93/131

コラム・開港カウントダウン ~150年前のかながわ8~

 安政5年(1858)12月1日(陰暦10月26日) 駿府商人、外国奉行に神奈川開港場出店を願い出る 

 日本側とハリスとの交渉において、開港場を“横浜”にするのか“神奈川”にするのかという問題は、容易には決着がつきませんでした。そうした状況下、横浜を主張する幕府は、開港に先んじて国内商人の横浜移住を奨励しここに商人を集中させることで、開港場としての既成事実を積み上げる方策を採りました。これに対して、一攫千金を夢見る商人ら(「走り屋」とよばれたという)をはじめとする人々が、積極的に出店を願い出たとする見方がある一方で、先行きの分からない不安定な情勢のなか、幕府によって半ば強制的に(ただし、形式上は願い出る形で)出店させられたとする見方とがあります。いずれにせよ、開港に先立って国内商人が横浜出店へと動き出していました。出店の願い出は、武相地域からだけではなかったようで、駿府や上野国(群馬県)からの願い出の記録も確認されています(それぞれ『横浜市史稿』『吉井町誌』に掲載)。

【参考文献】

『神奈川県史 通史編3近世(2)』神奈川県編集・発行 1983年 [K21/16-3/3]
『横浜市史稿 産業編』横浜市役所編 臨川書店発行(復刻版) 1986年 [K21.1/5B/6]
『吉井町誌』吉井町(群馬県)編集・発行 1974年 [291.33/118]
『炎の生糸商 中居屋重兵衛 新版』萩原進著 有隣堂発行 1994年 [K28.1/177A]


コラム・かながわ あの人・この人

飯田 九一(いいだ くいち 1892-1970)

 飯田九一は、明治25年10月17日、飯田助大夫(11代)の三男として港北区北綱島町に生れました。
 飯田家は、近世以来の北綱島村の豪農でしたが、明治期には10代当主助太夫が経営に才を発揮し、農業のほか製茶業、製氷業なども手がけました。九一が生まれた頃は製氷業が特に順調だったようで、同26年には横須賀にまでその事業を拡大しています。続く11・12代当主はいずれも政治家として活躍し、綱島を中心とした港北地域の発展に貢献しました。
 そのような家に生まれた九一でしたが、経営や政治よりも芸術に関心が高かったようで、東京美術学校を卒業した後川合玉堂に師事、日本画の正統派の技術を修得して、帝展や巴里日本画代表展に作品を出展しました。また、のちには「俳画」に熱心に取り組み、自ら「香蘭会」を主宰するなど、俳画の第一人者として活躍しました。俳画を単なる余技ではなく一つの“道”として確立させたことは、高く評価されています。  昭和45年1月24日歿。現在、九一が眠る本法寺(港北区小机町)には、遺墨を刻んだ「俳画塚」が建てられています。

【参考文献】

『飯田九一遺作展画集』飯田九一著 飯田華頂女発行 1971年 [K72.18/1]
『飯田家三代の俤』品川貞一著・発行 1941年 [K28.18/3]
『神奈川県史研究 40』神奈川県編集・発行 1979年 [K21/18/40]