かながわ資料室ニュースレター第7号(2008年8月発行)

新着資料から

『港町の近代 門司・小樽・横浜・函館を読む』
 岡本哲志+日本の港町研究会 著 学芸出版社 2008年[K51.1/201]
 門司・小樽・横浜・函館。これらの近代港町は、洋風な近代の容貌が人々の心をつかみ、観光都市として人気を集めているが、その魅力は果たしてそれだけなのか。  本書は、その魅力の源泉を近代港町の背後に潜む近世・中世の深層構造に求め、フィールドワークをもとに、これらの都市が近世以前の空間の遺伝子をどのように組み入れてきたのかを読み解く画期的な港町論を展開する。  横浜については、馬車道の成立過程などから、その都市骨格の形成を近世に求め、新たな都市散策の視点が提示されている。

『藤野の魅力再発見 Vol.1』
  横浜国立大学工学部建築学コース「実践的地域共生まちづくり」プロジェクトチーム・ふじの里山くらぶ 編著・発行 2008年 [K52.95/11/1]  
 横浜国立大学工学部建築学コースが地域貢献を目的に取り組んでいるのが実践的「地域共生まちづくり」プロジェクト。この一環として、藤野町のまちづくり組織「ふじの里山くらぶ」と共に古民家の見学会や土蔵の修復などに取り組んでいる。本書はこの成果を集大成したもの。  藤野町に現存する養蚕農家等の古民家約40棟のうち、石井家住宅、遠藤家住宅、和智家住宅などおよそ20棟を収録。それぞれ建築様式や間取りなど、図版や写真を用いて詳しく説明している。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
吉田庫三文庫目録県立横須賀高等学校朋友会 1993K02.31/13
二宮尊徳富田高慶春陽堂書店1942 K157 637
報徳仕法による家づくり村づくり田中茂一愛農会本部1955 K157 638
二宮尊徳の生涯と報徳の思想黒田博報徳学園1980 K157 639
成田不動と二宮尊徳加藤仁平全国報徳団体連絡協議会1981 K157 640
二宮金次郎71の提言三戸岡道夫栄光出版社2008 K157 641
成就院
鎌倉グラフィック・シリーズ寺ものがたり
かまくら春秋社 2008 K18.4 325
バプテストの横浜地区伝道大島良雄ダビデ社2007 K19.1 188
鎌倉北条氏の神話と歴史
日本史史料研究会研究選書
細川重男日本史史料研究会2007 K24.4 256
縁に福あり菊池瑞穂神奈川新聞社2008 K28 370
教育は人を造るにあり神奈川大学米田吉盛伝編集委員会御茶の水書房2008 K28.1 553
金儲けが日本一上手かった男
安田善次郎の生き方
砂川幸雄ブックマン社2008 K28.61 75
統計・資料で見る日本地図の本
第4巻
こどもくらぶ岩崎書店2008 K291 740
鎌倉・江ノ電完全案内
散歩の達人エリア版mook
 交通新聞社2008 K291 741
るるぶ横須賀三浦逗子葉山JTBパブリッシング 2008 K291.3 78
ガイドブックに載らない北鎌倉の神々北鎌倉湧水ネットワーク夢工房2008 K291.4 396
幻の鎌倉宇苗満批評社2008 K291.4 397
箱根人の箱根案内山口由美千早書房2008 K291.85 257A
横浜・寿町と外国人山本薫子福村出版2008 K36.1 401
横浜市教育行政の研究竹岡健治スペース伽耶2008 K37.1 310
わたしたちのまちの花と木神奈川みどりの総合診療所蒼天社2008 K47 95
恋人はイルカ中村元マイクロマガジン社2008 K48.1 41
神奈川県内科医学会二十五年史神奈川県内科医学会 1991 K49 131 91
迷ったときの医者選び 神奈川角川SSコミュニケーションズ 2008 K49 343
港町の近代岡本哲志学芸出版社2008 K51.1 201
建物で読む横須賀横須賀建築探偵団 2008 K52.31 14
藤野の魅力再発見 Vol.1横浜国立大学工学部建築学コースふじの里山くらぶ2008K52.95/11/1
田園都市生活 vol.28 枻出版社2008 K59 46 28
横浜の産業とマチづくり 横浜都市研究叢書横浜市立大学国際総合科学部学文社2008 K60 105
なぜ,子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?白土健創成社2008 K68 448
街と駅80年の情景関田克孝東急エージェンシー2008 K68 449
鎌倉彫彫刻刀と砥石石垣忠志かまくら春秋社2008 K71.4 71
キッズフォトグラファーズ盲学校の23人が撮った!管洋志新潮社2008 K74.1 83
横浜の残像天野洋一光村印刷2007 K74.1 84
「鎌倉百人一首」を歩く尾崎左永子集英社2008 K92.4 117

コラム・開港カウントダウン ~150年前のかながわ7~

 安政5年(1858)9月29日(陰暦8月23日) 三浦郡下宮田村若宮社にて流行病除災の祈祷が行われる。 

 諸外国が迫り、開国・開港と幕政が大きく揺れた安政期は、災害もまた多く発生しました。安政2年の大地震、同3年の大風災(台風)、そして同5年のコレラの大流行です。これらは、いずれも人々の生活に大きな影響を及ぼしました。
 このうちコレラは、西日本中心だった国内最初の流行(文政5年)の規模では収まらず全国に波及して、7月中旬頃には武相地域でも流行し始めました。幕府はこれを「暴瀉病」(激しく嘔吐する病気)と名付けてその予防法と療法を布告し、また祈祷も命じました。武相地域では、三浦郡下宮田村若宮社や鎌倉郡の八幡宮(鶴岡八幡宮か?)などでの祈祷の触書(『神奈川県史 資料編10 近世(7)』)が残っているほか、藤沢宿では大神楽を行ったことが記録から分かります(『藤沢市史 第2巻(資料編)』)。コレラの流行は9月中旬頃から沈静化しますが、亡くなった人も少なくなかったようです。

【参考文献】

『神奈川県史 通史編3 近世(2)』神奈川県 1983年 [K21/16-3/3]
『神奈川県史 資料編10 近世(7)海防・開国』神奈川県 1978年 [K21/16/10]
『藤沢市史 第2巻(資料編)』藤沢市1973年


コラム・かながわ あの人・この人


吉田 庫三(よしだ くらぞう 1867~1922)

 吉田庫三は、学習院や商船学校(東京海洋大学)、鳥取県第一中学校で教鞭を執った後、神奈川県立第二中学校(県立小田原高校)、第四中学校(県立横須賀高校)の初代校長を歴任した明治・大正期の教育者です。
 吉田松陰の甥(孫とする資料もあり)で山口県出身の庫三が、神奈川県下の中学校に赴任することになった背景には、神奈川県第19代知事・周布(すふ)公平の存在があったと言われます。長州藩士であった公平の父・政之助は、尊皇攘夷を主張する改革派の指導者であり、吉田松陰のよき理解者でした。松陰が刑死した後は、吉田家の再興や松下村塾の復活に尽力するなど、吉田家とは縁が深かったといいます。その縁から、公平は庫三のことをよく知っており、その人格や深い学識を高く評価していたために彼を招請したのです。
 庫三は、第二中、第四中いずれの学校でも、生徒たちに厳しい規律を課し、自ら修身の授業を受け持って、知識の伝授よりも人格の陶治に重きをおいた厳格な教育を行いました。

【参考文献】

『神奈川県史 別編 人物』神奈川県1963 [K21/16-4/1]
 『小田原高校百年の歩み』県立小田原高校2002 [K37.7/4/100-1]