かながわ資料室ニュースレター第6号(2008年6月発行)

新着資料から

『氷川丸とその時代』
 郵船OB氷川丸研究会編 海文堂出版 2008年[K55/58]
 山下公園に係留され、横浜の観光ポイントとしても親しまれている「氷川丸」は、太平洋戦争の惨禍を生き延びた日本唯一の優秀外航貨客船で、船齢は80歳近いといいます。先ごろ改修工事を終え、4月にリニューアルオープンしたのを機に本書が刊行されました。  シアトル航路の優美な客船として竣工した氷川丸でしたが、戦時中には、引揚船や病院船としての使用を余儀なくされました。そして終戦後には再びシアトル航路に復帰するなど、その歴史は昭和という時代を色濃く反映したものでした。本書は、この氷川丸の波乱の航跡を、数多くの写真やエピソードを交えながら振り返ったものです。巻末には索引も付されています。

『旧・日本帝国海軍「横須賀鎮守府」123年の歩み』
 長浜つぐお編著 横須賀の文化遺産を考える会 2008年 [K39.31/100]  
 「鎮守府」とは、旧日本海軍の機関で、各海軍区の警備や所属部隊の監督などを担当しました。最初の設置となった東海鎮守府は、横浜に置かれましたが、これが明治17年、横須賀に移転し「横須賀鎮守府」となりました。本書は、この「横須賀鎮守府」が当初“何処に”設置されたのか、という疑問を一つの出発点として、建築史を中心に鎮守府の歴史をまとめたものです。数多くの写真や平面図などの資料が掲載され「横須賀鎮守府」を知る格好の1冊です。また、横須賀以外の各地に設置された鎮守府(呉、佐世保、舞鶴)の歩みについても、簡略な説明があります。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
二宮尊徳と現代日本人神谷慶治信山社出版1987 K157/635
時衆文化 第17号時衆文化研究会岩田書院2008K18.52/92/17
伊豆水軍永岡治静岡新聞社2008 K24.89/5A
吾妻鏡 2五味文彦吉川弘文館2008 K24/428/2
新釈生麦事件物語長岡由秀文藝春秋企画出版部2008 K25.1/63
近世関東の地域社会白川部達夫岩田書院2004 K25/212
三浦氏の研究峰岸純夫名著出版2008 K28.3/19
小栗忠順のすべて村上泰賢新人物往来社2008 K28.31/109
房総里見一族川名登新人物往来社2008 K28.39/36
鎌倉・湘南・三浦をあるくJTBパブリッシング2008 K291/706A
鎌倉観光文化検定公式テキストブックかまくら春秋社かまくら春秋社2008K291.4/386A
かながわ自由民権探索大畑哲夢工房2008 K31/638
お玉が池高砂武洋夢工房2008 K38.85/29
旧・日本帝国海軍『横須賀鎮守府』長浜つぐお横須賀の文化遺産を考える会2008 K39.31/100
123年の歩み
原寸図鑑ののはなさんぽ五味岡玖壬子けやき出版2008 K47.98/25
吊掛讃歌 2片野正巳ネコ・パブリッシング2008 K54/27/2
氷川丸とその時代郵船OB氷川丸研究会海文堂出版2008 K55/58
湘南スタイルwoman枻出版社2008 K59/56
イェンスの畑づくりイェンス・イェンセン枻出版社2008 K61.7/17
「フードアナリスト」が選ぶ横浜中華街の名店食卓賢人倶楽部ナレッジフォア2008 K67/229
小田急時刻表 2008交通新聞社交通新聞社2008 K68/428/2008
みなとの偉人たちみなとの偉人研究会ウェイツ2008 K68/445
懐かしの小田急線生方良雄エリエイ2008 K68/444
湘南アトリエ散歩久野康宏ダイヤモンド・ビッグ社2008 K70/67
お龍植松三十里新人物往来社2008 K97/149
随想小泉淳作文藝春秋2008 K98/61
鎌倉つれづれ今村該吉スターツ出版2008 K98/60

コラム・開港カウントダウン ~150年前のかながわ6~

安政5年(1858)7月29日(陰暦6月19日)、神奈川(小柴)沖の米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約締結。

 米国との通商条約が締結されると、堰を切ったように次々と各国が条約締結の交渉に入り、翌7月にはオランダ、ロシア、イギリス、9月にはフランスとの間にそれぞれ通商条約が調印されました(安政の五カ国条約)。これらの条約は、いずれも日米間の条約にほぼ準拠した内容で締結され、その条文には開港場として神奈川の名が明記されました。しかし、東海道沿いの神奈川宿は往来が多く、ここを開港場とすると日本人と外国人の接触が多くなる懸念があること、これに対し横浜は、東海道から離れ、丘陵と入江により隔離された条件を備えていることなどから、大老井伊直弼は横浜開港をつよく主張しました。これにより条文の「神奈川」を“隣接する横浜村を含む”と解釈し、寒村にすぎなかった横浜が開港場となったのです。  なお、日米修好通商条約原本(重要文化財)は外交史料館に所蔵されており、この翻刻は、『神奈川県史 資料編10 近世(7)海防・開国』『大日本古文書 幕末外国関係文書20巻』などで見ることができます。

【参考文献】

『神奈川県史 通史編3 近世(2)』神奈川県 1983年 [K21/16-3/3]
『神奈川県史 資料編10 近世(7)海防・開国』神奈川県 1978年 [K21/16/10]
『大日本古文書 幕末外国関係文書20巻』東京帝国大学文学部史料編纂所 1930年 [210.08/3/20]

コラム・かながわ あの人・この人

渋沢 喜作(成一郎)(しぶさわ きさく/1838~1912)

 渋沢喜作は、近代日本経済の父と称される渋沢栄一の従兄弟にあたり、栄一と同じ血洗島(ちあらいじま 現・埼玉県深谷市)出身の人物です。養蚕・製藍を家業とする農家に生れた喜作は、幕末動乱の時代にあって尊王攘夷の思想に接し、幕府に批判的な態度をとっていましたが、運命のいたずらか、やがて15代将軍徳川慶喜に仕えることになります。そして戊辰戦争に参戦し、最後は函館で榎本武揚らと行動を共にしました。  戊辰戦争に敗れ獄中での数年を経て、蚕業調査のためのヨーロッパ留学も経験した喜作は、横浜で生糸売込問屋・渋沢商店を開業しました。彼は、これを原善三郎や茂木惣兵衛らと肩を並べる、横浜を代表する売込商の一つへと成長させました。このほか横浜洋銀取引所等数々の事業に関わり、実業家として活躍しますが、投機癖があったようでたびたび大きな損失も出していたといいます。  晩年、東京で過ごした彼は、大正元年(1912)に75歳で死去。中目黒の祐天寺に眠っています。

【参考文献】

『渋沢喜作書簡集』 深谷市郷土文化会 2008年 [K28/366]
『横浜市史 第3巻上』 横浜市 1961年 [K21.1/4/3-1]