平成27年度「社会・人文系再発見シリーズ」連続講演会 ◆ 講演録

「持続可能な社会」としての江戸 ~今を生きるヒント 第1回


「持続可能社会としての江戸」

  田中 優子氏 (法政大学総長)
  平成28年1月17日(日) / 神奈川県立図書館 新館4階セミナールーム

【講演概要】

田中優子氏写真  今回、非常に大事なテーマでシリーズを作ってくださったと思う。「持続可能=サステイナビリティ」という言葉は、ある時期から全世界でよく使われるようになり、もう古いとも、まだまだ実現されていないともいわれるが、持続不可能になりつつあるこの世界で、人間と地球が持続していける方法を本気で考える必要があるのはまさにこれからである。用語としては理科系分野の印象だが、気候の問題が民族紛争や文化の多様性喪失などにつながるなど、広く社会や文化にも影響を与える段階に来ている。広範な問題のすべてをカバーすることは難しいので、それぞれが自分の専門分野で取り組んでいくしかない。私自身の専門は江戸時代であり、日本文化の中の持続可能性は京都議定書採択のころから注目されるようになった、なかでも江戸時代のシステムが特徴的であることから、この問題に取り組んでいる。
 私はこの近隣の出身なので、研究者になり転居してからも親しんだ県立音楽堂や県立図書館、横浜市立の図書館を利用していた。県立図書館で『金唐革史(きんからかわし)の研究』(徳力彦之助 著)、この本をみつけたことがきっかけとなって初めての単行本を出すことになった。江戸文学を研究していた当時、文学は時代の価値観や生活感覚と一体であると感じ、江戸時代の暮らしに興味を持つようになった。金唐革はもともと輸入品であったが、平賀源内が紙から類似品を作る技術を発明し、明治時代には逆に輸出していたように、江戸時代は海外とのつながりを持ちながらクリエイティブな活動を行っていた時代である。この時期に蒔かれたさまざまな「種」が明治以降に開花したことを形にしたいと、長年考えていたことが、県立図書館のこの本から受けたインスピレーションによって実現した。このように、図書館は開架書架の間でさまざまな本を手に取って試すことで刺激を受け、何かを始めるきっかけとなる存在であると思う。

 さて、江戸時代の暮らしの特徴には次のようなものがある。
○電気のない暮らし
 浮世絵には行灯の下で読書や裁縫をする姿が描かれているものも多い。ろうそくは高価なため大店や遊郭など限られた場所でしか使えなかった。実際に試してみると、暗い行灯の光でも墨で印刷した当時の本はよく読めるし、色刷りの色や空摺り(凹凸のある印刷)の陰影も、電灯で見るのとは違った美しさがある。また、着物は直線縫いなので、糸を通してしまえば暗くても縫えることがわかる。行灯の油はその土地に応じた原料(なたね、ごま、くじら、いわしなど)を使い、絞りかすを肥料にしたり、溶けたろうそくのろうを業者が集めて再生したりなど、資源の循環も行われていた。このように、使えるエネルギーに合わせたモノを使い、低エネルギー生活を全体のシステムとしてしまえば不満を感じることはない。

○里山のしくみ
 農村は食料だけでなく原料から製品までさまざまなものを生産する場所である。奥山と農村の間には里山があり、低木は燃料、楮・みつまたは和紙の原料、桑は養蚕など、地形や生態系にあわせて山全体を活用している。生活用品の多くは竹を素材としているが、これは、成長が早くて短期間で利用でき、加工しやすく、廃棄後は土に還る性質があるからである。稲のうち、米は飯や酒として人間のエネルギーとなり、藁は日用品や肥料などに使われ、焼却灰も肥料にする。宿場でも旅の途中で使えなくなったわらじを集積し、馬糞と混ぜて肥料化するシステムができていた。

講演中の写真 ○長屋の暮らし
 始まりと終わり(末)を「始末」といい、これをきちんとすることで循環が生まれる。長屋においては 水道(井戸)、後架(共同便所)、はきだめ(ごみ箱)の3点セットが「始末」のしくみを作っていた。長屋は始末の仕組みの整った集合住宅だった。西の山の方から水をとり地中に埋めた樋、地下管で水を運び、井戸に貯めた水をくみ出して使っていた。

○着物の循環とリサイクル
 着物は、呉服屋で反物を購入し、仕立て、洗い張り、染め直しなどを繰り返しながら着る。傷んだ部分は除き、使える部分が小さくなったら子ども用に仕立て直す。古着屋から古着を買い、不要になったらまた古着屋に売る。外に出られない人のためには竹馬古着屋(古着の行商)などもあった。着物として使えなくなったものは布団がわや袋物、緩衝材などにリサイクルし、最終的には焼却灰を灰買い業者に売った。野良着は木綿製の筒袖、ひざ丈の短いもので、つぎあてなどの「手入れ」をしながら使った。
 ほかにインド、中国、ヨーロッパ等からの貴重な輸入品もあった。特にインドは古渡更紗(こわたりさらさ)(布を染めたもの)、唐桟(染めた糸で織ったもの)などの布製品を世界中に輸出していたが、日本でも模倣して綿花を栽培し、木綿製品を作るようになった。綿の種を取る機械なども発明され、綿を利用するだけでなく、種から油を搾り、絞りかすを肥料にした。

○本の循環と紙の漉き返し
 江戸時代は出版も盛んで、出版社兼本屋の数は現在ほど多くはないが、販売も行う貸本屋が町のすみずみまで入って本を提供できるようになっていた。カラー印刷の本や浮世絵、色刷りの袋入り、本の表紙など、絵を読み、見て楽しむものが多く出版されている。江戸中期に恋川春町が書きはじめた黄表紙(大人も楽しめる絵本)は、未来社会(高齢社会、若者の引きこもり、男女逆転現象)なども題材としており、当時の人々がどのように社会を見ていたかが読み取れる。作者の多くは諸藩の武士で、アルバイト収入や版元からの厚遇のほか、他藩との交流が生まれるというメリットもあった。
 出版が盛んになると自然と教育要求が高まり、寺子屋が増加する。寺子屋の絵も多く残っているが、持ち込みの机を好きな場所に置いて個別指導で勉強している様子が見える。自由な雰囲気の寺子屋は子どもたちに人気があったようだ。
 紙は、短期間で使えるようになる楮、みつまたを原料とし、不要なものは紙屑屋が買い集めて漉き返し、再生した。

○さまざまなものの修理
 古傘買、錠前直し、瀬戸物焼接など、それぞれに専門の修理・リサイクル業者がいて、ものは回収、修理・再生を繰り返して使われ、最終的には灰(肥料)となって灰買いに売られる。また、商人もそれぞれ決まった1品を専門に扱う形をとっていたので、多くの人の手に仕事が渡るようになっていた。

 江戸時代の暮らしがこのようになったのは、次のような歴史状況によるものであった。
 大航海時代から秀吉の時代まで(16世紀)の日本は拡大路線を取っていた。鉱山開発により生産量が増大した銀で中国やアジア諸国の高級品を買い集めていたが、アジアからヨーロッパまでを支配すれば必要なものがすべて手に入ると考え、海外出兵するが失敗する。その際の鉄砲調達費が大きな負担となったこと、スペインがメキシコ、ペルーの金を大量に持ち込んだため、アジアにおける日本の経済競争力が相対的に低下したこともあって拡大主義は挫折する。江戸時代は、大航海時代のグロ-バル化の中で相対的に敗れた日本がどうしたら立ち上がれるかを考え、それまでとはまったく異なった価値観に基づく新しい国づくりのためにさまざまな試みを始めた時代であったといえる。
 江戸時代初期にはまだ朱印船貿易が続いていたが、多くの国が参入する中で競争に負け、また、貿易を主に担っていたキリシタン達が結託することを恐れたため、完全に撤退する。そして、徳川幕府は戦争や貿易による拡大路線からの転換を図る。まず、各藩の競争の末に有力大名が海外へ目を向けるのを避けるために、海外でも国内でも戦争をしないという大きな決断をする。次に、戦争をせずに国が経済的に成り立つよう貿易を縮小し、銀の海外流出を防ぐために決済は銅で行うことにした。さらに、輸入減少分を国産品で賄うために技術開発を進めた。輸入に頼らないという強い意志により技術は急速に進歩し、多くの職人が生まれて国産品を生み出し、次に輸出に耐えうる品質を生み出す。それはやがて日本の近代化につながっていくことになる。
 「付喪神(つくもがみ)」や戯作に描かれた日用品の化け物などに見られるように、そもそも日本人には「ものには生命がある」という考え方がある。この「日本人のものに対する考え方」は、これまで見てきたような持続可能な江戸の暮らしの根底にも流れている。

【質疑応答】
◆薩長は江戸の文化・社会体制を一掃して天皇制国家を作ったわけだが、一方、使節団としてアメリカで学んだ小栗上野介は、江戸をよく知る人間として近代化を進めたのか、江戸文化のよさをまったく見ずにアメリカに倣って近代国家を作ったのか、どちらか。
→小栗上野介の専門家ではないので小栗の考えに限定した形ではお答えできないが、江戸文化が一掃されたというようには考えていない。どの国でもそうだが、国家体制が変わっても生活レベルの変化はゆっくり進むのでそれほど極端に変わらない。日本でも、少なくとも戦前まではきわめて江戸時代に似た状態に保たれていたと考えられる。むしろ、他の国にあったような革命による価値観の大逆転がなく、ある種の封建制度が残って民権政治ができなかったことが問題と考える。江戸時代の日本は藩という小国の連合体であり、幕府は朝廷の権威を利用して各藩をまとめていた。明治時代になって、列強との関係で国としての体制を整える必要から天皇を中心とした中央集権国家を作るが、その過程で江戸時代の良い部分を切り捨てたという事情があることも知っておかなければならないだろう。

◆現在の社会を江戸時代と同じようにするのは無理だと思うが、どのようにしたらよいか。
→江戸時代の循環サイクルには、生産と消費後の廃棄物循環を担う農村の存在が不可欠である。現在は化学物質等土に返せないものも多く、江戸時代と同じ仕組みにはできない。現在行っているリサイクルの中にはエネルギーや人件費がかかるものもあり、持続可能社会とは何かという問題に戻って考える必要がある。私たちが語るべき持続可能社会は低エネルギーで健康な循環ができる社会だと考えているが、そのためには化学薬品や原子力を含むエネルギーの問題を解決しなければならない。

◆江戸時代には個人が町の運営に意見を言うしくみはあったのか。
→町や村に指示をする立場の人はいないので、自分たちで運営するしかなかった。武士は全体の都市計画や犯罪の取り締まりなどにはかかわるが、そのほかの部分は名主や町年寄などの町人が担っていた。「長」は存在せず3人の合議制を取っており、名主は連絡係、名主の考えを伝える家主が一種の管理者という位置づけで、人々は家主と協議しながら村や町の運営に関わっていた。上からの連絡に対しては必ず要望を出し、聞き入れられなければ一揆によって自分たちの意見を主張することも多かった。