『ディヌ・リパッティ 伝説の天才ピアニスト-夭折の生涯と音楽』 畠山陸雄著 

『ディヌ・リパッティ 伝説の天才ピアニスト-夭折の生涯と音楽』 畠山陸雄著 ショパン 2007年 資料番号:22076202 請求記号:762.39/10  OPAC(所蔵検索)

 1917年ルーマニアに生まれたピアニスト、ディヌ・リパッティ。病のために33歳でこの世を去り、多くの録音は残っていません。にもかかわらず、死後70年近く経った今もなお音楽ファンに愛され、伝説の存在として語られています。
 本書はそのディヌ・リパッティについて書かれた、日本では初めてのまとまった伝記です。著者の畠山陸雄氏は、ルーマニア出身の音楽家について調査、研究をされており、2015年には『ルーマニア音楽史』(畠山陸雄著 えにし書房 2015年 資料番号:22819247 請求記号:762.39/16)を出版しています。
 ディヌ・リパッティは筆まめで、家族や友人、恩師等に沢山の手紙を送っていました。その手紙や、当時の新聞記事等が多数引用されていて、ディヌの行動や心情をとてもわかり易く読むことができます。親交があった音楽家との数々の写真も興味をそそられます。
 ディヌ・リパッティは1917年3月19日、ルーマニア、ブカレストの裕福な家庭に生まれました。父親はパブロ・サラサーテ等にヴァイオリンを習った、ヨーロッパでも有数のヴァイオリンコレクターで、母親はピアニストだったため、幼少の頃より音楽に囲まれて育ちました。4歳頃からメロディを作りはじめ、5歳の時、チャリティーコンサートに出演し「耳で覚えたバッハのプレリュードと自作の曲をいくつか演奏した。これこそ天才の証明である。」と芸能新聞に取りあげられたそうです。
 16歳の時にウィーンの国際ピアノコンクールに出場し2位になりましたが、審査員の一人だったアルフレッド・コルトーが、1位ではないことに異議を申し立て、審査員を辞任したという有名な話もあります。コンクール後、ディヌはコルトーの勧めでパリに出て、ピアノをコルトーに、指揮をシャルル・ミュンシュに、作曲をポール・デュカスとナディア・ブーランジェに学びました。本書には他に、クララ・ハスキルやアルトゥーロ・トスカニーニといった著名な音楽家との親交も書かれています。ディヌ・リパッティを知る人は皆、彼のピアノと共に、穏やかで上品な人柄の良さを褒め称えています。
 音楽に対する真摯な姿勢と類い稀な技術、ディヌは20世紀を代表する偉大なピアニストの一人になると周囲のだれもが信じていました。しかし、当時は治療が困難だった難病を患い、1950年12月2日、惜しまれつつその生涯を閉じます。
 同年9月16日、フランスのブザンソン国際音楽祭での演奏が、ディヌの最後の演奏会となりました。演奏会当日に容体が悪化した彼は、演奏ができる状態ではありませんでした。しかし、医者たちの説得を振り切り舞台に上がりました。よろめきながらピアノに向かったその演奏は「目もくらむような素晴らしい演奏」だったと、後に音楽評論家の記事にも書かれています。
 ブザンソン国際音楽祭での演奏は録音され、後世に残されました。この演奏を含む、ディヌ・リパッティのレコードやCDが、県立図書館、音楽・映像コーナーにもあります。是非、本書と一緒にご鑑賞ください。
(県立図書館職員:ディヌのような人になりたい)