『陸奥爆沈』 吉村昭著

『陸奥爆沈』 吉村昭著 新潮社 1970年 資料番号:12027793 請求記号:915.9/365  OPAC(所蔵検索)

 「陸奥」という戦艦をご存知でしょうか。長門型戦艦の2番艦であるこの艦は、1918(大正7)年に横須賀海軍工廠で起工し1921(大正10)年に就役しました。就役後は1番艦の長門や他の戦艦と交代で連合艦隊旗艦を務めたため高い知名度を誇り、教科書にも描かれました。その当時の男子がイメージする軍艦といえば長門と陸奥であり、「陸奥と長門は日本の誇り」といういろはカルタが制作されるほどの人気だったようです。

 『陸奥爆沈』という不穏な題名ですが、陸奥の最期はこの題名通りだったと言わざるをえません。太平洋戦争中、主力として温存され直接戦闘に参加することが少なかった陸奥は、1943(昭和18)年6月8日、広島・呉に程近い山口県岩国市柱島付近に設けられた柱島泊地(はしらじまはくち)(泊地=艦艇停泊地)にて謎の爆発事故を起こし沈没しました。第3砲塔~第4砲塔付近より突然煙を噴き上げて爆発し、船体は2つに折れたのち沈んでいきました。この爆発により乗員1474名のうち艦長以下1121名が殉職するという大惨事になりました。

 この本は作者・吉村昭が陸奥爆沈の原因を探っていく「記録小説」です。作者は旧海軍技術少佐の福井静夫氏や「陸奥」の元乗組員、当時調査に当たった査問委員会(当時の呼称はM査問委員会)の委員など様々な人物から話を聴き、爆沈の真相に迫ろうとします。そもそも「陸奥」とはどういった戦艦なのかということから、事故の際の状況や生存者救助・遺体の捜索、事故原因の調査の様子などが時折図解を交えながら詳細に書かれているため、「陸奥」という戦艦についてあまりご存知ない方でもお読みいただけます(戦史についての知識があれば、より深く入り込めると思います)。

 調査の過程で「陸奥」は人為的に放火されたのではないかという疑惑が浮上します。最初作者はこの説を否定する意見に同調的でしたが、過去の軍艦火薬庫災害の中には軍艦に放火されたことが原因で被害を受けた軍艦が存在すると伝えられ、考えを根底から覆されます。更に前述の福井静夫氏から他にも複数の軍艦で火薬庫災害が起こったことを告げられます。詳しくは作品内で書かれていますが、火薬庫災害が発生した軍艦の中には、現在も横須賀で記念艦として存在する「三笠」も含まれていました。ここで取り上げられた災害は人為的な災害と推定されたものであり、堅牢な軍艦の意外な脆弱さと事件を起こした人々の様々な感情を伝えてきます。

 そして、この本には「陸奥」が沈んだことを隠匿しようとする上層部の動きも細かく書かれています。中でも苛烈なのが、乗組員から「陸奥」爆沈の事実が漏れることのないようにと、負傷者を除いた生存者を最前線に送るという決断を下したことです。この結果、元「陸奥」乗組員の多くは南方の島々で玉砕し命を落とすことになりました。

 「陸奥」の沈没から今年で75年の歳月が過ぎました。あの悲惨な戦争の中で起こったこの事故のことを、そして「陸奥」という艦のことを少しでも興味を持っていただけたなら幸いです。
余談ですが、2016(平成28)年に東京にある船の科学館に展示されていた「陸奥」の主砲身が横須賀のヴェルニー公園に“里帰り”しました。機会があれば是非こちらもご覧ください。

(神奈川県立図書館:本州の端っこ)