最初の仕事は「普及課」!?

(この3月に退職を迎える職員に、図書館での仕事について振り返っていただきました。)

自動車文庫 図書館員生活を始めて38年になりますが、3月末で定年退職です。長いようで短いようで…、なんとも不思議な気がする歳月です。
 図書館員の職についたのは、1977年ですからインターネットもないし、もちろんスマホもない。そんな時代です。カード目録のカードを繰り込むのが休館日である月曜日の大事な仕事だったのです。先輩から「間違えるとその本を探している人には所蔵していないということになってしまうぞ。」と言われて、緊張感を持って仕事をしたことが思い出されます。
 最初に配属されたのは、「館外奉仕部普及課」というところです。今、字面を見ただけでは、何をやるところかわからないという人がいるかもしれません。「館外奉仕」というのは、「館の外へ出てサービスする」ということ、「普及」というのは、「読書を普及させる」ということでしたが、私は先輩の教えもあり、「図書館を普及させる」という意味もあると、漠然とではありましたが、理解していたように思います。
自動車文庫 自動車で、図書館の外へ出かけていって、一人ひとりに本を貸し出したり、地域で文庫を開いている人たちに本を「団体貸出」するという仕事でした。自動車は、マイクロバスを改造したものやライトバンなどで最盛期には県立図書館だけで5台ありました。「自動車文庫」という呼び方で親しまれていたものです。この自動車文庫は、県立図書館だけで運行していたわけではありません。市町村へ出かけていくと、市町村の職員が一緒に乗り込みます。そしてサービスポイントへ着くと「OO市立図書館です。」とアナウンスするのです。アナウンスの仕事は、主として市町村の人が分担していました。県立図書館の自動車と本と職員を市町村に使ってもらっているわけなのですが、それをおかしいと感じたことはありませんでした。そのときはそこまで考えていたわけではなかったのですが、まさしく「図書館を普及させる」仕事だったのです。そのうちにあちこちの市や町でも自前で移動図書館車をもってサービスをするようになりました。
 このほか、本当は図書館員が応援しなくてはいけないのに、地域文庫でがんばっている人たちから逆に励まされたりしたこともありました。図書館員としてのやらなければいけないこともそうした中で、少しずつですが、わかってきたように思います。最初に配属になった仕事のことは、強い印象とともに、身体の中に深く刻み込まれている感じがします。そしてそのことが、38年間楽しく図書館員を続けてこられたことにつながっているのかなと、退職を迎えようという今、考えています。

(県立図書館職員:大塚)