気仙沼大島の文書救出ボランティア その後

 以前このコーナーで、「気仙沼市大島の文書救出ボランティアに参加して」(2011年7月10日)というリポートを書かせていただいたことがありました。あれからもう早3年。先日、「東日本大震災3周年」を迎えるさまざまな行事が行われたばかりで、災害の記憶を新たにしたところではないでしょうか。
 神奈川大学日本常民文化研究所では、その後も文書救出の活動を続けていらっしゃいます。先日、その活動に再び関わることができましたので、経過を含めてご報告させていただこうと思います。
 泥と海水をかぶってカビだらけになってしまった文書の数は膨大なものでした。紆余曲折を経て、これらの文書はすべて奈良文化財研究所に送られ、「真空凍結乾燥」という方法で水分を抜き、カビの蔓延を防いで保存が出来る状態になりました。大型の真空凍結乾燥機に約1ヵ月も入れられて、資料を傷めないようにじっくりと作業は行われました。その後、仮の目録を作りながら、資料の状態を維持するため小分けのパックに梱包した上でダンボール約300箱に詰められ、これらの文書は気仙沼大島に戻って来ました。
 

被災資料

左が作業前、右が作業後

 

 今回の主な作業は、それらの文書を納める場所を作るため、以前作成した仮目録とつき合わせながら資料一点一点の大きさを確認し、こびりついたままの泥や汚れをとり、保管のため再び梱包するというものでした。
 泥はかなり細かいもので、高性能マスクにビニール製の作業服上下、帽子に手袋に眼鏡という、ちょっと見には誰だかわからなくなるほどの完全防備をしても、一日の作業が終わって首筋を拭くと、ウエットティッシュが真っ黒になっていたりしました。白かった作業服も、最終日にはそこはかとなく着色されたようにも見えました。

被災資料

竹へらで泥をこそいでいるところ

 

 泥以外に苦心したのは、紙どうしのくっつきです。無理にはがすと破れて読めなくなるし、かといって放っておくと、今はまだ取れそうなところがいずれくっついてはがれなくなりそうだし…けれどすべて丁寧に見ていくと、限られた日数なのに作業効率があがらない…。悩みながらの作業でしたが、それでも前回と合せてようやくダンボール量で三分の一程度の作業が終わったそうです。
 これらの作業のほかに、宿泊先の黒潮さんの心づくしの夕食(サメの心臓を初めて食べました!おいしかったです)、宿の御主人から震災3年めの今の状況をうかがったり、島内を車で案内していただいて3年前との違いを目にすることもできました。
 さまざまな団体が被災資料救出にかかわっていますが、資料点数の多少や資金・人手の問題等、それぞれの事情でできることは違います。「百年後、二百年後の研究者が使う資料を残すために、今できることを」ということで作業をしてきましたが、大島のこの資料が今後どのような状態になるかは誰もはっきりしたことは言えず、海水を被った資料の扱いはどのような方法がbestかということは、確立していないのだそうです。それぞれがその時々のbetterを選択してやってきたということです。
 東日本大震災では三陸南部の漁協資料はほとんど消滅し、残っているのは大島の文書群だけなのだそうです。貴重な資料が残ったことを喜ぶ一方で、「資料は死蔵していても価値は生まれない。活用して意味づけ(=研究)をしなければ」というお話があったことが、印象に残っています。
 今回のような作業をまだ残りの分、続けなければなりませんが、2014年度末には文書を納める施設が完成する予定だそうです。そのときにはまた、大島を訪れたいと思います。

(県立図書館職員 地域情報課の新古参)