『百代の過客』ドナルド・キーン著

百代の過客「百代の過客 上 日記に見る日本人」 ドナルド・キーン 朝日選書259 朝日新聞社 1984 12730917 915/6/1 OPAC所蔵検索
「百代の過客 下 日記に見る日本人」 ドナルド・キーン 朝日選書260 朝日新聞社 1984 12730925 915/6/2 OPAC所蔵検索
「ドナルド・キーン著作集 第2巻 百代の過客 〈日記文学論〉日記にみる日本人」ドナルド・キーン 新潮社 2012 22584015 910.8/112/2 OPAC所蔵検索

 古い日記については、高校で行われている古文の授業で触れる機会がありますが、現代の私たちにとっては、なじみのない言葉の数々。限られた時間の中、日記のほんの一部分を現代語訳することに足を取られ、古文を理解するための前提としての時代背景や、その時代の人の価値観の知識もないままに、私たちよりもはるか昔に生きた人たちの息づかいを感じるところまでたどり着くのは難しいことです。今回ご紹介する本書(『百代の過客(上)』)では、日本で日記文化の始まった平安時代からはじまり、鎌倉時代までの日記が紹介されています。1つの日記につき、大体3~10頁ほどで紹介されており、私たちにダイレクトに、作者の思いを伝えてくれます。

 例えば、平安時代に書かれた「蜻蛉日記」(作者:道綱の母)の導入はこうです。

「「蜻蛉日記」の持つ最もいちじるしい特徴は、確かにその強烈な女性的性格だと言える。自分を客観視しようという気持ちなど毛すじほども持たずに書いた、これはある女性の、不幸せな人生の記録である。(略)この世に自分より深く苦しんだものは誰一人いないと確信し、読者にも、自分の不幸をたっぷり味あわせようと、彼女は心に決めていたのである。」

 そのような日記もあれば、「讃岐典侍日記」のように、天皇に仕える典侍が、天皇への賛辞や感謝の気持ちからその人柄を書き残すべく書いた日記、「中右記」のように現在では「平安時代末期、院政時代の政治、人情、風俗などの最も重要な資料」と位置付けられているものの、作者にそのような意図はなく、家紋を継がしめんため自分の長男だけに伝えるつもりで厳重に人目から隠していた秘密の日記、「成尋阿闍梨母集」のように、84歳の一老女(作者の身分は日記を書いた宮廷女性の中で最も高い)が、遠い中国に修学に行ってしまい母親のことなどどうでもよいと思っているかに見える息子の態度に悲嘆にくれた日記など、実に様々な動機で書かれた日記が紹介されています。
 大きな戦乱のない安定した日々を送る、貴族や宮廷女性たちの日記は、親子関係、恋愛、職場と、日常から発生する様々な感情が綴られており、現代の私たちに通じるものがあります。

 平安時代後期になると、政治の実権が次第に貴族から武士へと移り、日記にも時代の変化が見られます。
 「建礼門院右京大夫集」では、作者は平家との関わりが深く、仕えた建礼門院(平徳子、高倉天皇の后)を始め、愛人の平清盛の孫資盛の栄光の日々と後の悲劇の対比が描かれ、源通親は「高倉院厳島御幸記」と題した高倉院の厳島詣での公式記録や高倉院の病気から崩御後の仏事の次第を記述した「高倉院昇霞記」を書いています。
 また、平安時代後期~鎌倉時代になると、鎌倉幕府が成立したことも影響して、西国東国間の往来が生まれ、旅日記が多く登場します。当時、旅に出るということは相当の覚悟がいることだったようです。「いぬほし」の紹介の中で著者は、昔の日本では体験の新奇さを述べることが旅人の目的ではなかったと述べ、かくかくの山の頂きを初めて極めたなどということを誇らしげにいうのはヨーロッパ人で、日本人は、先人がすでに体験したことを再体験することを常に望んだと書いています。「海道記」で、作者は、承久の乱に参加した中御門中納言宗行の館が東国の田舎武士の宿舎となっているのを見て過去の栄光と対比したり、宗行が柱に刻んだ和歌を読み、それに対する歌を読んでいます。

 この後、下巻では、室町、徳川時代の日記が紹介されています。
 ここでは、武士によって世の中が動く時代となったことが感じられる日記が多く登場します。室町幕府の足利将軍が書いた日記、豊臣政権下に書かれた日記、徳川幕府成立期に徳川の影響を受けた形跡のみられる日記といった具合です。
江戸時代の日記は、林羅山、貝原益軒などの儒者、国学者の清水浜臣、松尾芭蕉、大田南畝、滝沢馬琴などの文人の日記が登場し、これまでの時代とは違った文化人による日記が見られます。
 それぞれの時代の日記には、それぞれの面白さがあり、読む者を飽きさせることがありません。

 著者のドナルド・キーンは、日本人の日記全般についての研究がないことに気がつき、平安初期から現代までの日記を通して日本人を見たら、ユニークな展望が与えられるかもしれないと思い、この連載を始めたようです。
 通常の読書でも、本は様々なことを教えてくれますが、本書で試みられた「日記を通して並べること」で、本から教わることに終わらず、読むたびに自分で何かに気が付いていくことができる本になっており、著者の意図した以上に面白い本となっています。

(県立図書館職員:ソチオリンピック、生観戦したいものです)