サイエンスカフェ結果報告(2009年度第3回:通算第18回)

世界を変えたダーウィンの進化論が生まれるまで
~『種の起源』発表まで20年!の軌跡~

テーマ世界を変えたダーウィンの進化論が生まれるまで~『種の起源』発表まで20年!の軌跡~
ゲスト渡辺政隆さん(サイエンスライター、科学技術振興機構(JST) エキスパート)
聞き手:竹村真由子さん(科学雑誌「LOUPE」編集者、デザイナー)
日時2009年12月13日(日曜)午前10時~12時、午後2時~4時
会場の様子

  2009年は、ダーウィン生誕200年、そして、世界を変えた科学書といわれる『種の起源』が発表されてから150年という記念すべき年に当ります。『種の起源』は初版1,250部、1冊15シリングでしたが、すぐに売り切れました。本国イギリスでは記念切手やコインが発行され、紙幣の肖像にもなっています。

  ダーウィンは1809年に生まれ、1882年に死去しました。職業はカントリージェントルマン、ナチュラリストといわれますが、実際は経済的恵まれていたこともあって、生涯職につくことはありませんでした。

〈ダーウィンの由来〉

  祖父は裕福な開業医でかつ発明家でもあり、ジェームズ・ワットなどともに産業革命の一翼を担いました。父も医者で、母はウェッジウッド家の娘でした。

〈ダーウィンの慧眼〉

  進化論については、ラマルクなどの先駆者もいましたが、進化を直線的に考えていたため、生物の多様性を説明できませんでした。進化は分岐(少ないものから多様なものが枝分かれしてきたこと)であることを見抜いたところにダーウィンのすごさがあります。よく猿が直立して(進歩して)人間になるというイラストがありますが、それは誤解で、ダーウィンは一言も言っていません。チンパンジーや人間(全ての生物)は遠い昔に共通の祖先から分岐してきたもので、チンパンジーはいくら時間が経っても人間にはならないのです。全体の方向性として、進化は単純なものから複雑なものへと進んできました。ビーグル号航海の直後に書かれたダーウィンのノートのスケッチにはそのことを表す分岐図が残されています。

〈ダーウィンの偉大さ〉

・進化論を「進化学」という科学にしました。進化は再現できないもので、実験して証明など不可能なのですが、徹底した証拠集めによって科学的な手法を確立しました。

・進化のメカニズムとしての自然淘汰説を提唱しました。同時代のニュートンの万有引力の法則は乗り越えられてしまっていますが、ダーウィンの自然淘汰説は150年経っても有効です。

・先見性。『種の起源』は偉大な予言の書で、系統学、生態学、行動学の現代の最前線に通じる元になるものが書かれています。ただし、遺伝のしくみがわかっていなかったことが、当時のダーウィン理論の弱点でした。でも、遺伝のしくみが分かった今も、理論の大筋は覆されていません。

〈『種の起源』を書くまで20年もかかったのは?〉

  進化思想は当時は反社会的な危険思想でした。また、進化論を「進化学」(科学)にするために、徹底した証拠集めをし、論証を完璧にする必要がありました。(『種の起源』には反論を予想して、その再反論まで書き込まれています。)そして、愛する娘アニーの死によって、神もいないのかと、信仰の道もふっきれたともいわれています。発表当時、イギリス国教会は国の権威に関わるとしましたが、労働者階級の人々は、生物が変わるように社会も変わると、喜び、受け入れたそうです。

〈ダーウィンの生い立ち〉

  ダーウィンはイングランド北西部の小都市、シュルーズベリというところで生まれ育ちました。今町の中心にある図書館の前にダーウィン像が建てられています。大学卒業後に探検に行きたいと思っていたところ、測量船ビーグル号の館長の話し相手として乗り込むことが決まりました。しかし、食費や身の回りのものなど自己負担であったといいます。寄港先からイギリスへ様々なものを送り、それが評判になり、帰国したときは有名人になっていました。

  航海で進化論を思いつくきっかけになった大きなことは、南米のチリで大地震と火山の噴火を目撃したことでした。航海中にライエルの『地質学原理』を読んでいて、地球の歴史は現在起こっていることですべて説明できるということを知り、目の前で自然現象に接し、地球はこうして造られてきたということを実感します。そして、ガラパゴスでは同じ種類のマネシツグミが島(生息地)ごとに少しずつ異なることに気づきます。ゾウガメも甲らの形が異なっているのですが、その重要性には気づかず、肉を食べた後の甲らは航海中に全て捨ててしまいました。ガラパゴスでは、生物は進化するという確信をまだ持っていなかったのです。

  帰国後に「秘密のノート」を、航海中の発見をもとにまとめていくことになります。しかし、周囲の人々は創造説を信じていて、そのギャップに苦しみ、体調を崩し、結婚を考えるようになり、従姉のエマと結婚します。エマもウェッジウッド家の娘です。(結婚の損得勘定をして、そのメリットとデメリットをまとめたノートが残っています。)

  その後、ロンドン近郊のダウン村に隠棲しながら進化論をまとめていきます。日課はサンドウォークという敷地内の道を散歩することでした。そして、ラッセル・ウォレスが自分と同様の説を発表しようとして相談してきたことをきっかけに、1858年自然淘汰説をウォレスと連名で発表します。それから、本当はもっと大作になるはずだったものの要約として『種の起源』を1859年に発表します。しかも、専門書ではなく、一般向けに書かれたものでした。論争もありましたが、思いのほかダーウィンの説は受入れられました。ただし、自然淘汰説が受入れられるまではかなり時間がかかりました。

  晩年はミミズにこだわり、研究を続けました。ダウン村の墓地に埋葬されたかったようですが、周りの人々はウェストミンスター・アビー(大修道院)で葬儀を行い、ニュートンの隣に葬られています。

〈永遠の問い〉

  進化論は科学の世界だけではなく、芸術、文化にも影響を与えました。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」というゴーギャンの絵の問いもダーウィンの進化論なくしてはありえなかったことでしょう。『種の起源』の最後には「じつに単純なものから、きわめて美しく、きわめてすばらしい生物種が際限なく~」とあり、そのあとには原語では「evoled」となっています。『種の起源』初版当時、今は「進化」を意味する「evolution」という言葉に「進化」という意味は無く、「進化してきた」と訳すのは間違いです。「発展してきた」と訳しました。生物多様性を紹介する文章として、欧米の博物館の進化の展示のよく引用されています。

  ダーウィンは、単に生物が進化してきたということをはじめて言っただけではなく、また、宗教と科学のあり方を変えただけでなく、今われわれが生きる、生物多様性が問われる時代につながるメッセージを150年経った今も発していて、偉大な人です。

写真:渡辺さんの持参した記念硬貨などに見入る参加者
渡辺さんの持参した記念硬貨
などに見入る参加者

引き続いて、会場からは数多くの質問が寄せられました。主なものを挙げます。

Q:ダーウィンが『種の起源』をまとめるまでどのような観察や実験を行なったのですか?

A:当時イギリスでは鳩の品種改良がブームになっていて、様々な観賞用の鳩が作られていました。ダーウィン自身も鳩を飼って観察しています。カワラバトというひとつの野生種から多様な品種がつくられているということのアナロジーから進化論が生まれることにもなったわけです。人間にできることが、時間がたっぷりある自然にできないわけがないということです。

Q:『種の起源』という書物が難解なのはどうしてでしょうか?

A:ひとつにはダーウィンが誤解されたくないという思いから、論証がくどいくらいになっていることがあります。法律文書を読んでいるようで退屈な面がありますが、時々冒険して言っているところは挑発的でおもしろい部分もあります。

写真:質問する様子
会場からの質問

Q:ダーウィンには子どもが10人いたということですが、人間の成長、進化について何か考えていたのでしょうか?

A:ダーウィンはビーグル号の航海から戻った後、ロンドン動物園に足繁く通い、オランウータンの子どもを観察し、自分の子どもとそっくりだと気づき、全くの別々につくられたものではなく、連続しているのではないかという思いを強くします。『種の起源』では触れていませんが、その後『人間の由来』『動物と人間の感情表現』などを書いています。

他にもたくさんの質問、意見をいただきました。ありがとうございました。

参加者のアンケートから

・子どもの頃、テレビでガラパゴス諸島の映像を見るのが大好きでした。イグアナが岩の上でじっと海の方をながめてひなたぼっこをしている様子やぞう亀など、そこに必ずダーウィンの進化論の話が出てきました。今日お話を伺ってダーウィンがとても身近に感じられました。

・飲料が用意してあり、リラックスして聞けた。聞き手とのやりとりが、理解しやすかった。

・ダーウィンの生い立ちなどの話もあり、進化論が何か身近なものに感じられた。楽しかったです。

・生物の進化でありながら、商品やビジネスの変遷にも通じると思えた。

渡辺さんから

写真:渡辺政隆さんと竹村真由子さん
渡辺政隆さん(左)と竹村真由子さん

  たくさんの方に集まっていただき、感激しました。質問を受けてみて、みなさんの知識や関心が多様であることにも驚きました。「生物の進化」というのは教科書的な知識ではなく、自分の生き方、地球のあり方にまで関心を広げられる糸口です。これをきっかけに、皆さんの関心がなおいっそう広がっていくことを期待します。

  ぼく自身、多くを学びました。

聞き手の竹村さんから

  渡辺さんから、ダーウィンというヒトの生きざまを、さまざまなエピソードを交えてお話しいただけて、ダーウィンの科学者以外の顔も知ることができました。そして、科学者の素顔を知ることは、科学と自分の距離を、近く感じさせるのだと気づきました。

  進化論は、自分のルーツを探る一つの面白い学問。今回のように、ダーウィンという魅力的な人物を通して、進化論や、その奥につづくサイエンスを紹介することは、やわらかい切り口となり、より多くの方に届きやすいのだと感じました。

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