横浜絵・開化絵の世界

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横濱銕橋之圖

  安政6年(1859)の開港によって、戸数100戸ほどの一寒村であった横浜は、またたく間に外国の人々や船が出入りする貿易都市に生まれ変わりました。 異国情緒溢れる新開地横浜は世の中の話題になり、新奇好きな浮世絵の格好の題材となりました。 江戸にあった浮世絵板元(出版元)は大勢の絵師たちを横浜に送り込み、新鮮な驚きと好奇心に満ちた絵師たちの目を通して黒船や港の風景、新開地横浜の繁栄ぶり、 外国人とその珍しい風俗・習慣を次々と描かせていきました。

  明治に入ると日本は西欧化政策によって大きな変容を遂げます。西欧の制度や文明開化の風俗が人びとの関心の的になっていきます。 浮世絵も、横浜裁判所や時計台等の洋風建築、横浜・新橋間に開通した鉄道、鉄材の橋や馬車など新しい題材を得て活気づき、 絵師たちは開化のシンボルともいえる蒸気車を競って描きました。

  このように開港期から維新期にかけて横浜のエキゾチックな風俗を描いた浮世絵は「横浜絵」と呼ばれています。 「横浜浮世絵」や「横浜錦絵」、「江戸和蘭絵」の呼び方もあります。また、明治期の新世相・新風俗を伝えた浮世絵は総称して「開化絵」と呼ばれています。 「横浜絵」・「開化絵」は浮世絵の一分野ですが、これらの作品は、当時の横浜を伝える写真ジャーナリズムともいえる貴重な歴史的資料になっています。

  現在、作品数は800種以上あると言われていますが、かながわ資料室の所蔵作品82点をご紹介します。

デジタル画像(全82点)

画系図(収録された絵師たちの系図がご覧になれます。)