マリア・ルス号事件の『大旆』

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関連資料

1.マリア・ルス号事件と大旆

1-1 マリア・ルス号事件の流れ

 明治5(1872)年6月1日、嵐により損傷したペルー船籍の帆船マリア・ルス号(Maria Luz)が横浜港に入港しました。
 6月7日、この船から海へと逃れた一人の清国人が、近くに停泊中のイギリス軍艦アイアン・デューク号に救助されます。彼の証言からマリア・ルス号では230人の清国人苦力(クーリー)が奴隷状態に置かれている事が発覚します。この非人道的な扱いはイギリス代理公使ワトソンから日本政府に伝えられ、事態を善処すべく迫られた政府は、裁判を開くことになります。
 外務卿(現在の外務大臣)副島種臣(そえじま たねおみ)よりマリア・ルス号事件の審理を指示された神奈川県権令(現在の知事)大江卓(おおえ たく)は、県庁内に特別法廷を開き、7月4日から審理を開始します。
 マリア・ルス号の船長へレイラと清国人苦力への尋問が行われ、へレイラを虐待の罪で有罪(但し罰は免除)とした判決を7月27日に下しました。(第一次裁判)

 第一次裁判で自らを有罪とされただけでなく、清国人苦力がマリア・ルス号に戻るかどうかは、彼ら自身に決めさせるという判決に納得しない船長のへレイラは、清国人苦力全員に対してマカオで交わした契約履行請求の訴訟を起こします。
 これを受けて8月16日から再審理が行われ、8月25日に第二次裁判の判決が申し渡されました。判決では、マカオでの契約は無効とされ、ヘレイラに連れ去られた1名を除く、清国人苦力229人が9月13日に清国特使の陳福勲に引き渡されました。(人数については諸説あり)

 しかし、事件はこれだけでは終わりませんでした。
 翌年の明治6(1873)年、ペルー政府は日本に損害賠償を要求し、事件は二国間では決着せず、第三国であるロシア皇帝の裁決に一任されます。
 明治8(1875)年ロシア皇帝の下した裁決は「日本に賠償責任はない」というものでした。これは、外務省法律顧問のE.P.スミス、神奈川県法律顧問G.W.ヒルらの尽力と、人身売買を人道上の問題とする国際的世論の支持によって、得られたものでした。(なお、裁決したロシア皇帝アレクサンドル二世は農奴制廃止を行っている)

1-2 大旆について

 在日華僑の団体である横浜中華会館の人々から中国人苦力の解放に尽力した2人へ、感謝の意を込めて2つの大旆が贈られました。この大旆は、赤色の繻子地に金文字を用いて感謝の詩を綴った巨大な旗です。
 大江卓宛の大旆は縦345.5cm×横198.5cm(修復後の寸法)、副島種臣宛の大旆は縦333cm×横187cmの大きさです。
 文頭の「指?高陞」(?は日の異字体)とは「日が高く上るのを指差す」という意味で官僚に向け「あなたがさらに出世しますように」と祈念する一種の常套句です。
 双方に記されている文章はすべて同文で、最初にマリア・ルス号事件の処遇に対する感謝の言葉を述べ、続いて感謝の詩が記されています。
 大江宛の大旆は、中国の吉祥文様が色鮮やかに刺繍され、たいへん華やかな作りになっています。
 それに対して副島宛の大旆は、金糸の刺繍枠の内部に金文字だけで、装飾のない厳粛な作りです。
 神奈川県は関東大震災と戦災で戦前期の資料が多く失われました。そのような状況下で残された資料の中でも、特に保存困難な布製品である『大旆』は、開国期の貴重な文化財です。

2.事件のその後

2-1 遊女・藝娼妓の解放

 マリア・ルス号事件の争点は、清国人苦力が奴隷売買の被害から救われたように、その人権保護にありました。結果として裁判は清国人苦力の解放という形で裁かれたのですが、この裁判の中で、日本国内の奴隷売買として遊女・娼妓の例が指摘されました。裁判中は、この点を一蹴して裁決に持ち込みましたが、第二次裁判の後はこの問題に取り組む必要が出てきました。
 大江卓は遊女奉公の実態を調査し、太政官に対して遊女解放の建言をします。明治政府としても日本が文明国であることを示していきたい意向もあり、これを取り上げます。
 明治5(1872)年10月2日に出された「太政官布告第295号」は、一般に芸娼妓解放令と呼ばれていますが、この法令には、年季奉公などの名目による人身売買の禁止、娼妓芸妓等の年季奉公人は一切解放することなどが掲げられていました。

2-2 評価

 マリア・ルス号事件におけるロシア皇帝による裁決は、日本にとっての初めての“第三国による国際裁判”であり、同時に初勝利でした。
 また、明治新政府が人道的で人権意識のある政府であることを海外にも国内にも知らしめるものとなりました。

2-3 神奈川県立図書館と『大旆』

 外務卿副島種臣に贈られた『大旆』は、長く副島家に秘蔵されていましたが、昭和30(1955)年2月16日に種臣の孫の種経氏から神奈川県に寄贈され、開館したばかりの県立図書館が収蔵することになりました。
 また、神奈川権令大江卓に贈られた『大旆』は、大正初年ごろ鶴見の総持寺に寄託されていましたが、昭和34(1959)年5月15日に卓の子孫である原田良一氏と大江穐子氏によって県立図書館に寄贈されました。
 2点とも、昭和47(1972)年に県立図書館に併置された文化資料館(公文書館の前身)に引き継がれ、平成5(1993)年に開館した県立公文書館に移管されました。
 そして平成24(2012)年9月、県立公文書館から移管され、ふたたび県立図書館に収蔵されるに至りました。

3.参考文献

「マリア・ルーズ号事件にみる人権意識とその背景」森田三男『国際人権年記念論文集』1968年<請求記号:K26.1/84>
「人権思想からみたマリア・ルス号事件」森田三男『第二東京辧護士會会報 特集号』1992年<請求記号:K26.1/83>
「大旆のはなし」石橋正子『神奈川県立図書館紀要 第3号』神奈川県立図書館 1996年<請求記号:K097/4/3>
『マリア・ルス号事件関係資料集』石橋正子編著・発行 2008年<請求記号:K26.1/158>
『マリア=ルス号事件と大旆 神奈川開港・開国150周年メモリアルイベント』神奈川県立公文書館<未所蔵>