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(1)論考・目録・資料集
 
京濱工業史 藤田鎌吉(晃天) S6  1冊[502.1/H6]
  全体を「会社工場編」「川崎史編」「官公衙学校編」等に分類。中心は、50社余ごとの沿革、現況の紹介。巻末に寺社・教会、各種組合の名簿を記載、郷土資料的な要素あり。浅野総一郎の序。 
 
京浜工業地帯 隅谷三喜男編 東洋経済新報社  S39 189p [502.1/S6]
  「京浜工業地帯」範囲の特定、特質の学術的考察。著者4人は高校教諭など。明治初期の職人的手工業からの歴史的検証を含むので、考察の中心は東京。京浜工業地帯の特質を一貫して東京など大消費地に近接した「日用・耐久消費財」生産地域とする。公害問題への警告。
 
京浜工業地帯 神奈川新聞社 S47 435p [502.1/K16]
  公害問題が深刻化し企業責任が問われるようになり、交通渋滞や工場過密化等の社会問題 が顕在化してきた時期、神奈川新聞社が昭和46年、渾身の取材で85回にわたる連載記事 を本にまとめたもの。巻末に有識者64人の課題、将来構想等のアンケートが付されている。
 
京浜工業地帯−その歴史と現状−神奈川県立川崎図書館(京浜産業史講座第1集)  S36 114p [502.1/k5/1]
  「京浜産業史講座」入門編の講演筆記要約。産業史研究の意義(今井則義)産業史研究の方法(遠藤輝明)わが国産業に於ける京浜工業地帯の意義(小林義雄)京浜工業地帯の産業構造(長洲一二)京浜工業地帯成立史(服部一馬)電気と自動車(星野芳郎)私のみてきた京浜工業地帯(根本茂)
 
京浜工業地帯−主要産業の変遷−神奈川県立川崎図書館(京浜産業史講座第2集)  S37 141p [502.1/k5/2]
  「京浜産業史講座」の講演筆記要約。産業立地と工業地帯(風巻義孝)電力産業(安達昌平)金属工業(雀部高雄)機械工業(星野芳郎)化学工業(柴村羊五)食品工業(服部一馬)造船工業(広岡治哉)中小企業(小林義雄)
 
京浜工業地帯−主要産業の変遷(2)−神奈川県立川崎図書館(京浜産業史講座第3集) S38 136p [502.1/k5/3]
  「京浜産業史講座」産業別論考(2)の講演筆記要約。京浜工業地帯の基本構造(中村秀一郎)電子工業(岡修一郎)技術史からみた京浜工業地帯(山崎俊雄)化学工業(2)(柴村羊五)ガラス工業(和泉沢弥太郎)下請制工業(伊東岱吉)産業機械と工作機械(山辺孝)非鉄金属工業(黒子孟夫)
 
京浜工業地帯−通史編−神奈川県立川崎図書館(京浜産業史講座第4集)  S39 114p [502.1/k5/4]
  「京浜産業史講座」の講演筆記要約。京浜工業地帯概説(楫西光速)明治末・大正期(服部一馬)昭和恐慌期(島村龍蔵)戦時体制期(安藤良雄)戦後復興期(長田五郎)コンビナート時代(清水嘉治)京浜工業地帯における労働運動史(塩田床兵衛)京浜工業地帯における経営史(野口祐)
 
京浜工業地帯文献目録 増補版,第2集 神奈川県立川崎図書館 S49,59 226p,222p [503.1/K3]
  増補版は戦前から昭和48年6月まで、第2集はそれ以降同58年6月までに刊行された図書、雑誌等の関係文献九千余を採録してある。  採録記事は産業、経済、科学技術が中心だが、社会や政治、自然、教育に及ぶ。この文献目録は現在KL−NETで全件検索可能。
 
京浜工業地帯公害史資料集 明治43年〜昭和16年 神奈川県立川崎図書館 S47 136p [502.1/k5/4]
  大気汚染、水質汚染、地盤沈下、その他(砂利採掘等)の4分類のもとに、主として当時の生々しい新聞記事(横浜貿易新報、東京日日新聞、中外商業新報等)が翻刻採録してある。分類毎に解説文があり、事件の全体像を把握できる。他に「工場取締規則の変遷」や年表を付す。川崎市史にも引用。
 
川崎公害裁判訴訟記録 486冊  [519.12/45]
  昭和20年代後半から、臨海地帯工場等の煤煙や有毒ガスによる被害や、呼吸器系の疾病、眼病が異常に多く報告されるようになる。昭和57年「川崎公害病友の会」が中心になった原告団は、大企業14社と国、首都高速道路公団を共同被告として第一次公害訴訟を起こした。その後二次〜四次にわたり、原告団は400名を越す大型訴訟となった。
  平成8年に一次訴訟の有罪判決が言い渡された。曲折の末、原告団は被告側と和解。二次〜四次も同11年には全面和解する。原告団・弁護団は同13年裁判の一切を記述した当該訴訟記録を県立川崎図書館に寄贈された。  主張編(原告、被告)の準備書面から、証拠編(原告カルテやレントゲン写真も)、証人調書、意見陳述、口頭弁論、判決文まで副本及び複写物で収録。
 
(2)行政刊行物・地方史
 
川崎方面ノ工業 神奈川県内務部 T5 [502.1/K7]
  川崎方面の工業隆盛の現状と原因分析、今後整備すべき事柄について考察した初期文献。隆盛の原因として交通の至便性、地価廉価であること、地方労働者吸収の容易性等7項目を分析。治水、水道、工場地区の設定や農村問題との調和を今後整備の課題としている。当時としては出色の文献。
 
川崎市水道誌 川崎市役所産業課  T15 115p [519.1/K6]
  川崎町の上水道敷設計画は、大正5年設計計画から、町会決議、県へ申請、認可の手順を経て、同8年11月に起工式を挙行、資金不足等幾多の艱難を克服、同10年3月に竣工をみた。同10年10月には宮前小学校において「町民歓呼ノ裡ニ」通水式を行った。最初の水道工事誌。
 
川崎市会社工場便覧 川崎市役所産業課 S12 138,22p [335/K61]
  「使用職工五人以上に到る中小工場を網羅せる」177工場(業種別、五十音順索引付)、及び27の商事会社の、所在地、設置年月、取引銀行、職工数、就業時間、原料・製品内容、工場面積、資本金、本社役員名等を詳細に記述。巻末には各種学校一覧、市議会議員名簿等。
 
川崎市商工案内 川崎市商工協会 S13 234p [670/k15]
  業種別24に分類した商店、請負業、運輸、金融、劇場など市内業者の総覧。営業品目、業態、所在地、屋号、営業主名、電話番号を一覧できる。商品名や広告索引を付し、巻末に会社、市場、商工組合名簿等を加える。本書刊行の年、稲田町等4町村を市に編入。橘樹郡名が解消。
 
川崎市会社工場便覧 川崎市役所産業課 S16 406p [335/K61]
  収録は、「使用職工五人以上又ハ五人以上ヲ使用スル設備を要スル」426工場(業種別、イロハ順索引付)、及び103の商事会社。記述内容は昭和12年版と同様詳細なもの。この間事業所は約2.6倍に増加。日本光学、東洋通信機、昭和電工等多くの工場が新規収録。
 
工場設置案内 川崎市 S29  41p [502.9/K6]
  当時の市内代表的工場50箇所を写真とともに紹介し、川崎市勢や港湾設備、電力・工業用水の需給、労働事情等の概要を付す。市勢概要と工場誘致資料として配布したものか。この年、市は南幸町の市有地1000坪を提供し、「県立工業試験所川崎支所」が開設されている。
 
京浜工業地帯調査報告書 産業労働編総論、産業労働編・参考資料(1) 神奈川県 S27   63p,85p [502.1/K7]
  昭和26年大河内一男教授、東大社会科学研究所に委嘱して調査した結果分析報告書。京浜工業地帯全体の合理化達成のため、下請工業、労働力の維持・培養、労働者住宅、地方自治体行財政の4つのテーマを掲げ、調査結果を深く掘り下げる。調査対象は川崎市の他横浜市3区を含む。
 
京浜工業地帯調査報告書 工場用水編  神奈川県 S27 24p[502.1/K7]
  県専門委員鮫島茂による京浜工業地帯実態調査に基づき、京浜工業地帯工業用水の使用の現状分析と課題の摘出、将来の需要予測と対策、供給計画に及ぶ。
 
京浜工業地帯の実態 工場立地編  神奈川県 S28 174,64p[502.1/K7]
  京浜工業地帯の従業員50名以上の200工場を抽出、昭和25〜26年に到る1年間の生 産、輸送実績、電力、用水、原材料の使用実績等の実態調査結果を集計、分析したもの。県専門委員鮫島茂に委嘱。
 
京浜工業地帯調査報告書 産業労働編各論、神奈川県 S29 63p[502.1/K7]
  昭和26年調査結果に基づき、東大社会科学研究所労働問題研究会のメンバーが、京浜工業地帯を労働力の側面から解明した論考。労働力を、資本等とともに特定産業地帯の経済的決定要因として捉え、この地帯の労働供給方法、メカニズムの特性を説明する。
 
神奈川県産業構造の基本問題 1次〜3次 神奈川県 S26,32,38 [502.1/K7]
  5年ごとに実施される「国勢調査」結果データを照合しつつ、県産業構造の概況及び問題点を摘出したもの。昭和26年の1次では「工業生産力の復興再建」が強調されているが、同38年の3次では、嵐のような復興拡充の後で既に「調和のとれた発展」という表現が用いられている。
 
神奈川県工業の立地条件と工場環境 神奈川県 S37 203p[502.9/K5]
  副題とし「本県工業の発展を条件づけるもの用地・用水・輸送・雇用」とある。同36年7月末現在の県内4092工場を対象に行っ「工場施設環境調査」の結果報告。県下を10ブロックに大別、川崎市域は臨海と内陸に分けられそれぞれ解説と統計がある。
 
京浜工業地帯・その生成と発展  神奈川県自治総合研究センター S58 173p[502.9/K5]
  本書は、京浜工業地帯誕生期からほぼ100年を経過したことから、あらためて生成・発展と変貌について長期的な再把握を行い、将来課題を探るための分析と位置付けている。巻末に課題と提言があり、シンクタンク等からの寄稿を含む。
 
川崎市の工業の歩み−戦後復興から現在まで− 川崎市総務局統計課 S60 68p [502.1/k25]
  「統計川崎」127、128号特集記事の再録。 昭和25年から同58年までの事業所統 計調査、工業統計調査結果の分析。事業所数、従事者数、製品出荷額等について、10年毎に詳しく解説。昭和44年以降激減する川崎市の製造業従事者実数の意味と産業構造の変化を考察。
 
川崎市史 年表 川崎市役所  S43 2冊 [213/K8/1・2]
  川崎市史は昭和13,14年に一度、江戸期以前を中心にした2巻を出し中断。本書は市制 40周年、市人口100万人突破等を記念して出版されたもの。明治以後の記述が3/4を占める。産業史にも言及するが、通史のダイジェスト版。年表は昭和43年7月まで収録。
 
川崎市史 通史編 近代、現代上、下 川崎市役所  H7〜9 3冊  [213/K8/3,4-1,4-2]
  初めての本格的な川崎市通史。市制60周年を記念して昭和60年編纂に着手。「近代」は明治維新から大正13年の市制施行まで。「現代」はそれ以後、「上」を「行政・社会」に、「下」を産業・経済事情に充てている。巻末に詳細な「川崎市産業経済文献案内」を収める。
 
川崎市史 資料編 近代、現代上、下 川崎市役所  H7〜9 3冊  [213/K8/3,4-1,4-2]
  本格的な川崎市史資料編。「近代」は産業草創期の原史料を多く活字に直して収録。巻末に人口、会社、工場一覧を付す。「現代下」は、市制施行以後、戦後昭和60年までの産業史原史料を分類、活字にて年代順に収録。付図として大正13年「川崎市街全図」複製がある。
 
川崎市史研究 1号〜6号 川崎市公文書館 平成2〜7年 [213/3]
  戦後川崎の工業分布の変動(小川一朗 1号)  行政査察と日本鋼管(寺谷武明 4号)  創業期昭和肥料の事業領域選択(川口恵一 5号)  川崎の工業分布の変容(小川一朗 6号)
 
神奈川県史 各論編 1(政治・行政)、2(産業・経済) 神奈川県庁  S58 2冊 [213/K17/3-1,2]
  1(政治・行政)に、「工業地帯形成期の町村の動向について−川崎町の工場招致策を中心に−」「京浜工業地帯成立期の都市問題−1910年代の川崎を中心に−」等の論文含む。2(産業・経済)には、「日本鋼管株式会社の設立・発展過程」「電気機械工業の形成と発展」等を収める。
 
神奈川県史 資料編 17近代・現代(7) 18(8) 19近代・現代(9) 神奈川県庁 S50〜53 3冊
  資料編17は、「近代の生産」で「日本鋼管創立趣意書」等明治維新以降終戦までの産業草創期の原史料を収める。資料編18は、「近代の流通」で戦前までの内陸・運輸、海運・港湾関連史料を収める。資料編19は、「現代の経済」で、終戦直後から復興期を経て高度成長期に到る工業、交通・港湾関連の原史料を収録してある。」p429〜443  「第二編 第一章 第四節 港湾」p548〜589  「第二編 第二章 第六節 港湾」p772〜786 
          
(3)社史・団体史
 
京浜急行百年史 H11 682p [S686/K]
  明治32年六郷橋から川崎大師まで約2kmが開通、営業鉄道では日本で三番目関東では始めて。同38年品川神奈川間全通。昭和6年湘南電気鉄道黄金町で接続、同8年品川浦賀間直通運転開始。昭和16年湘南電気鉄道等と合併、京浜電気鉄道とする。同41年川崎駅高架線となり踏切撤去。
 
明治製糖三十年史 S11 140p [S588.1/M]
  明治39年横浜製糖六郷川畔に設立。同44年明治製糖(明治39年創設、本社台湾)が併合、川崎工場の事業を引き継ぐ。震災時工場建物倒壊、新工場を同地に建設。終戦時海外の資産喪失。昭和25年国内資産をもって明糖株式会社、変遷後同59年元社名に戻る。平成8年大日本製糖と合併、「大日本明治製糖」となる。
 
東芝百年史  S52 709p [S540.6/T]
  明治23年設立の「白熱舎」が母体。同32年東京電気と改称、アメリカGE社と技術提携し、電球等電気製品の生産を増加。同41年橘樹郡御幸村に9万坪余を確保して新工場を建設。大正2年本社川崎へ移転。昭和14年重電機メーカー芝浦製作所と合併「東京芝浦電気」となる。
 
コロムビア五十年史 S36 1冊  [S54072/N]
  横浜の輸入商アメリカ人ホーン等により「日米蓄音機」が明治40年に発足。川崎久根崎に工場が竣工したのは同42年である。その後複写盤が横行したが、大正3年に出された大審院判決では著作権は認められず、同9年の法改正まで待つことになる。昭和3年日本コロムビアを名乗る。
 
岡田屋創業者と百年の歩み H2 313p[S673.8/O]
  初代岡田宗直が官吏生活を終え川崎堀ノ内に質店を開店したのが明治23年。二代目宗直が隣接して呉服店を開いたのが同43年。味の素等企業の重役夫人の得意先となって繁盛したという。戦災による焼失の後昭和21年再興。同30年新館建設、本格的デパートとなった。同48年以来6年余のブランクを経て同55年モアーズ開店。
 
味の素沿革史  S26 946p [S588.7/A]
  葉山で海藻からヨード抽出、鈴木製薬所としてグルタミン酸特許の事業化。最初荏原郡六郷村に工場建設計画、地元住民塩酸ガス被害を予測反対運動。大正3年川崎町の招致により六郷川堤外付近19千坪の敷地を購入、研究所・製造工場を建設。大正6年鈴木商店、昭和21年現社名に変更。
 
日本鋼管株式会社七十年史  S57 576p [S564/N]
  明治45年輸送用シームレス鋼管生産を目的に白石元治郎を社長として創設。若尾新田埋立地の一画3万坪が予定された。建設工事は陸路が整備されていない中、艀による建設資材の運搬等困難を極めた。大正3年操業開始。第一次大戦の特需が経営を軌道に乗せる。民間製鉄業の先駆的役割。平成14年川崎製鉄と合併、JFEホールディングスとなる。
 
富士紡績株式会社五十年史  S22 387p [S586.2/H]
  明治29年富士紡績として東京に設立。東京瓦斯紡績等を合併、同39年「富士瓦斯紡績」となる。川崎町長石井泰助が工場設置期成同盟会を組織、工場招致を展開。旧川崎競馬場跡地等約13万坪の用地を確保し、大正4年操業開始。沖縄出身の工員を多数雇用。昭和14年川崎撤退。
 
日栄運輸倉庫70年の歩み S62 212p[S685.8/N]
  大正5年田島村大字渡田に創業した「高須組」が母体。草創期の日本鋼管、味の素の石炭荷上げ作業請負で成長。戦後昭和23年「高須興業」、同24年「高須運輸」、自動車運輸業、倉庫業にも進出、同40年「日栄運輸」同56年「日栄運輸倉庫」。平成14年合併「エヌケーケー物流」となる。
 
浅野セメント沿革史(複製) S15 711p [S573.8/A]
  明治16年深川の官営セメント工場の払下げを受けた浅野総一郎は、粉塵公害問題から田島村大島新田地先埋立地に新工場を建設、大正6年には操業を開始した。地元住民との間に公害問題を引き起こす。昭和22年日本セメントとなり、平成10年秩父小野田セメントと合併し、太平洋セメントとなる。
 
明治製菓のあゆみ 創業から70年 S p [S/]
  明治製菓は大正5年創立の「東京菓子」が母体。川崎工場は大正14年、明治製糖の隣接地堀川町に建設、操業を開始。キャラメル、チョコレート等を生産した。戦時中は菓子類の生産を中止し乾パン等軍用食料品メーカーとなった。また鉄材供出のため看板類もすべて撤去されたという。昭和58年埼玉県の関東工場へ完全移転、川崎から撤退。
 
富士電機社史  S32 330p [S540.6/H]
  ドイツの電信・電機器具製造会社シーメンス社と古河電気工業会社が協同で大正12年「富士電機製造」を設立。田島村田島新田に48千坪の土地買収、震災後同14年操業を開始した。配電盤、発動機、変圧器等を製作していった。平成15年事業部門分社化「富士電機ホールディングス」となる。
 
日清製粉100年史  H13 701p [S619.3/N]
  発祥は、正田貞一郎の創業した「館林製粉」。「浅野埋立」の大川地区(潮田町海岸埋立地)に大型船接岸可能な新工場を建設、昭和元年操業を開始。大川地区は昭和2年川崎市に編入されたが、それより前大正14年潮田町は鶴見町に編入されており、「鶴見工場」と名付けられる。
 
こみや創業100年記念特集号 複製 S45 [S673.8/K]
  明治4年小土呂に「小宮呉服店」を開店。昭和2年には砂子に進出して百貨店の体裁を整える。被災後同26年には駅前に新社屋を建築、開店した。その後増築を重ね隆盛一途にすすむが、品揃えや駅からのアプローチの悪さから、同53年には赤字転落、ニチイ傘下に入り経営権を失う。
 
昭和電工五十年史  S52 337p [S572/S]
  昭和3年東京電灯支援のもと森矗昶等により「昭和肥料」設立。川崎扇町に工場建設、同6年から東京電灯から安価な余剰電力の供給を受け、水電解式合成手法で化学肥料硫安を大量製造。同14年日本電工が合併、現社名。戦時中は爆薬原料の濃硝酸の生産を強制され空襲で壊滅的打撃。
 
日本電気株式会社百史 H13  497p[S540.6/N]
  明治31年、アメリカ・シカゴの電話機製造会社ウェスタン・エレクトリック社の、日本ではじめての外資系会社として設立。昭和10年下沼部玉川向に16千坪の土地を確保、工場建設、翌年から操業を開始して、無線機器、真空管等の生産をはじめた。戦時中は工場疎開が実施された。
 
帝国臓器製薬80年史 H12 433p [S499.5/T]
  明治41年横浜に山口八十八が開設した「帝国社」食品工場が母体。大正9年帝国社敷地内に「帝国社臓器研究所」を創立し、医薬品の製造に着手した。当時好評であった男性ホルモン剤の増産工場として、橘樹郡高津町下作延に「高津分工場」を建設、昭和11年操業開始。
 
日本冶金工業六十年史 H11  83p [531.1/N]
  当社の前身「日本火工」は軍需品である爆弾等の製造で急伸、増資を重ねたが昭和8年森矗昶が社長に就任すると、大師河原先の葦の生い茂る沼沢地を買収、工場を建設し、ステンレス鋼の生産を同10年に始めた。初湯の型は川崎大師門前で買い求めた「おかめ面」だという。同17年社名変更、ニッケル鋼も併せ軽合金メーカーとなる。
 
三菱化工機60年史 H7 551p [S530.6/M]
  三菱財閥の総合化学工業への参入は、意外に遅く昭和9年の日本タール工業(現三菱化学)の設立に始まる。化学工業機械の生産を目的として翌年には「加工機製作」を創設し、川崎の「浅野埋立第4区」大川町地区に一万坪を購入、工場建設、同11年操業開始。同13年現社名へ変更。
 
プレス工業70年史 H7 271p [S566.5/P]
  大正14年東京荏原郡大井町に設立した「プレッス工業所」が当社の前身。昭和9年に会社組織に改めた。川崎進出は昭和12年で、その理由の第一は得意先の東京自動車(現在のいすゞ自動車川崎工場)との近接化。本社も塩浜1丁目に移転。自動車用部品等を生産。
 
日通工75年史 H5 391p [S547/N]
  母体は明治42年創設の大阪の「川北電気企業社」。大正7年に「日本電話工業」を創立さ   せる。昭和12年山陽社等を合併、「日本通信工業」社名となる。併合した日本高周波の旧工  場(高津区北見方)を総合工場として再建、本社もここへ移転。電気通信機器、部品を開発。 平成13年NEC事業部と合併、NECインフロンティアとなる。
 
東京機械製作所百拾年史  S58 478p [S749.3/T]
  新聞印刷機メーカの東京機械は、明治21年、甲州出身の事業家小野金六(富士製紙の創始者)等により、勧業寮三田製作所の払い下げを受け設立。はじめ車両や紡織機械の生産。しだいに輪転機等印刷機メーカとして成長。昭和13年新丸子に農地2万坪を買収し、玉川工場建設。軍需工場に指定、旋盤等工作機械生産に特化。戦後の初仕事は読売新聞社の輪転機修理。
 
富士通社史  S39〜 3冊 [S547/H]
  昭和10年富士電機から独立。東京電気との協約も基づき、富士電機が無線通信機器の製造部門を分離させたことによる。川崎新工場は南武線武蔵中原駅前に約4万坪の土地を買収、工場建設。同13年竣工したが、南武線が貧弱で東横線との間に乗換施設がなく、退職者が続出したという。
 
いすゞ自動車50社史  S63 497p[S539/I]
  昭和12年東京瓦斯電気工業自動車部と自動車工業が合併「東京自動車工業」となり、下殿町に川崎工場を建設し翌年には操業をはじめ、トラックを生産開始。社名「ヂーゼル自動車」を経て同24年現社名。同33年隣接埋立地を取得工場拡張した。平成18年閉鎖予定という。
 
トキコ五十年史 S63 303p [S535/T]
  昭和12年東京瓦斯工業の計器部を独立、創設させた「東京機器工業」が前身。「トキコ」は当時の電報略号で同40年に正式社名となる。同13年川崎工場稼動、軍用機用機器生産で進展したが、戦後は鉄道や自動車用機器を生産。現在の富士見町には、本社、営業本部と研究所がある。
 
日本鋳造七十年史 H2 201p [S566.1/N]
  浅野造船所の船舶機関部分の製作を目的として、大正9年潮田末広町に創立。川崎工場は白石地区に約4万坪の敷地を確保して、昭和13年に完成させた。主として鋳鋼を生産。戦時中川崎工場にB29が墜落、工場は大破した。戦後は、特殊鋳鋼や強靭鋳鉄等の新製品を開発。
 
大同製鋼50年史 S42 634p [S564/D]
  大正4年名古屋電燈が製鋼部門を分離した「電気製鋼所」が発祥。昭和13年大同製鋼と改称。この年川崎に進出し、夜光に川崎工場を建設、操業を開始した。特殊鋼は艦船や飛行機に必須材料であり、しだいに軍需工場化していく。昭和51年、日本特殊鋼、特殊製鋼と合併、現社名となる。
 
臨港バス30年のあゆみ s42 198p [S685.5/K]
  鶴見臨港鉄道の自動車部として昭和12年、大師鶴見間のバス営業を始め、同年「鶴見川 崎臨港バス」が発足した。翌年「銀バス」と呼ばれた「川崎乗合自動車」と合併したとき、 「川崎鶴見臨港バス」となった。木炭車やトロリーバス時代を経て、戦後23年からヂーゼ ル車が導入された。
 
川崎商工会議所50年 H2 326p [S671.7/K]
  昭和8年、京浜川崎駅前デパート進出反対の運動の中で、地元小売商は強力な商業者  団 体の必要性に目覚める。以後設立へ向けた努力を続け昭和15年に到り、「川崎工友クラブ」 (大手工場各社等)と、「川崎市商工協会」(地元商店業者等)により設立される。
 
第一セメント三十年史 S55 307p [S573.8/D]
  浅野セメント川崎工場は、昭和15年日本鋼管等と共同出資して設立した「日本高炉セメ ント」となった。戦後同24年に「第一セメント」となるが、浅野→日本→太平洋セメントの傘下にあった。平成15年中央商事と合併し「デイ・シイ」と変遷、環境リサイクル事業を展開。
 
三菱自動車工業株式会社史  H5 1131p [S539/M]
  昭和45年三菱重工業が自動車事業部を分離。現社名となる。川崎工場は、三菱重工業時 代の同14年建設開始。トラック製造部門を想定していたが、舟艇機関製造等軍需工場化。 現中原区大倉町、同16年稼動、最初東京機器製作所川崎工作部と呼ばれた。戦後の初生産 は、鍋釜や洗面器であったという。
 
日立造船百年史  S60 805p [S550.6/H]
  明治14年大阪に創業された「大阪鉄工所」が発祥。関東進出は昭和16年大師河原地先 ?の埋立地を県から購入、水江町1番地に神奈川造船所を建設。同20年米山丸(6670トン) ?を初進水。タンカーや魚雷艇、上陸用舟艇等を建造。同18年現社名となる。戦後はアメ ?リカ海軍舟艇の修理請負から操業を再開したという。
 
東洋ガラス100年の歩み S63 234p[S573.5/T]
  明治21年大阪で設立した「島田硝子製造所」が前身。昭和3年にはガラス瓶の自動機生 産を行っていた。同28年東洋製罐グループ傘下に入り42年現社名となる。川崎工場は同 30年に夜光3丁目に建設され、アメリカ向けみかんの瓶詰め用ガラス瓶の生産がフル稼働 されたという。
 
日本石油化学三十年史 S62 323p [S575.5/N]
  日本石油は石油生成過程で発生する副生ガスからアセトン等を生産するため、川崎塩浜に日本石油化学を発足させる。昭和33年には千鳥町にも進出。古河グループと提携、昭和電工、日本ゼオン、旭ダウ、日本触媒等へエチレン等油化学製品を供給、相互依存する日石川崎コンビナートを形成。平成14年「新日本石油化学」となる。
 
ゼオン50年のあゆみ H12 323p [S578/N]
  横浜ゴム等古河系3社と米国グッドリッチ・ケミカル(ゼオンは同社のブランド名)との共同出資により、塩化ビニール樹脂生産を目的に昭和25年創社。川崎工場は同34年夜光に建設され、特殊合成ゴムを生産。隣接地に中央研究所設置。最近は高機能樹脂、情報材料を生産。
 
日本触媒化学工業50年のあゆみ H3 169p [S572.8/N]
  大阪で硫酸触媒を製造していたヲサメ硫酸研究所が母体。吹田工場での大爆発事故や戦災等の受難の後、昭和24年に現社名、化学工業化への参加を決め日石化学とのコンビナートを組むべく、千鳥町八千坪余の用地に進出、同34年に酸化エチレン等を生産、機能性化学品も製品化。
 
東燃五十年史 H3 1112p [S575.5/T]
  軍需向けの航空用油等の生産会社として、昭和14年設立された東亜燃料工業が母体。戦後川崎千鳥浮島地区に約246千坪の用地を購入。石油精製操業を開始するとともに、東燃石油科学を設立、東燃石油科学コンビナートを形成した。平成12年東燃ゼネラル石油となる。
 
キャノン史 技術と製品の50年 S62 422p [S535.8/K]
  昭和8年東京に設立した精機光学研究所が前身。35ミリ写真機「カンノン」を試作同11年キャノン1号機を発売。戦後同27年「キャノンカメラ」に社名変更。同38年高津区下野毛に玉川工場設立、8ミリカメラ製造。同48年玉川事業所、現在はBJプリンタ、化成品製造。
 
神奈川臨海鉄道30年史 H5 182p [S686/K]
  川崎臨海部の諸工場専用線から塩浜操車場を経て、浜川崎駅に到る臨海鉄道運営を目的として、昭和38年「神奈川臨海鉄道」創設。塩浜水江町間、塩浜千鳥町間、塩浜浮島町間の鉄道敷設は、同39年竣工、この3線と国鉄浜川崎塩浜操車場間が完成し、同時に営業を開始している。
 
横浜銀行六十年史 S55 727p [S338.6/Y]
  大正7年にはじまる生糸恐慌等の影響から第七十四銀行及び横浜貯蓄銀行が休業に追い込まれる。同9年両行が整理され、「横浜興信銀行」(横浜銀行の前身)が新たに設立した。このとき、七十四銀行川崎支店は横浜興信銀行川崎支店となる。(新宿52番地)
 
神奈川相互銀行のあゆみ S44 229p [S338.9/K]
  昭和26年の「相互銀行法」に基づき,県や横浜興信銀行、各市商工会議所の支援により同 28に設立された。同30年11月貝塚138に川崎支店が設置された。後、平成元年普通銀行に転換「神奈川銀行」となる。川崎支店は昭和42年から現在の駅前本町へ。市内他に中原、渡田に支店あり。
 
川崎信用金庫50年史 S49 267p [S338.7/K]
  当金庫の前身は、大正12年産業組合法に依り、堀ノ内522番地に設立された「川崎信用組合」である。昭和20年4月の川崎大空襲に被害をうけた当組合は、「中原信用組合」「高津信用組合」と合併。戦後の26年成立の「信用金庫法」により「川崎信用金庫」となった。